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人生はあべこべだ。

人生は、、、。
と語るほど生きてきたと
自負しなけれざならない
年齢になってしまったのは
認めざる得ない事実で、


十分に振り返るだけの人生を
生きてきた。

今振り返るまでに、
人生は
“イマジネーション“
と信じていたし、
それは今後も変わらないが、
付け足せるとすれば
“経験“だ。

それにも、
必要な経験と
不用な経験があるということ。

無駄な経験は何一つないと言うが
それは違うと言わせて欲しい。

本当にその苦労が
必要だったのか?
本当にその男と
付き合うことが
必要だったのか?

など・・・
大なり小なりあると思うが、
その経験が最大に
生かされているのだろうか?

もちろん、
あの苦労があったから。
あんなダメ男と付き合ったから。

とそれをバネにし、
生きている人がいたとしても、
一握りなのではないかと思ってしまう。

ほとんどの場合は、
その経験を
生かしきれず、
その経験によって得たものに対して
足をひっぱられている人を
多くみてきた。

また、
何も学びを得ていないという
ことだってあるのだ。

それは、
誰かのせいや
環境のせいにすることでしか
生かされていないのではないかと
疑ってしまう。

わたしは
ショールームの前田裕ニさんの
サクセスストーリーが好きだ。

早くにご両親を亡くされ、
路上ライブで生計を立て、
塾に通えないだけで、
どんなに努力をしても
越せない壁が取り壊されないなんておかしいと
中学生で悟るんですよ。
それから早稲田に行き、、、
アメリカで就職され、、、
起業するという
華々しい経緯も

だからと言って

“おかげ“とも
“せいで“とも言っていない。

ただ現状を受け入れ
その場を臨機応変に
対応されていった結果にしか過ぎず、
(もちろん圧倒的な努力はあったと思います)

アインシュタインの
ゆずるさんも極貧だった時代を
ネタにはしているものの、
英語だけは勉強してきたので、
会話には困らないと
話しているのをテレビでみると、

おかれた環境というのは、
一過性のものに過ぎず、

親ガチャというのも、
もちろんあると思うが、
今一度考えて欲しい。

それは自分の理想ではなかったから
というだけであって、

いないよりマシと思う人もいれば
いない方がマシと思う人もいるはずだ。

だから、
全ては
無常であるということ。

永久に
変わらないことなんか
何一つないということに
気づかなければ、

誰かを憎み続けたり
後悔を繰り返してしまうだけの人生に
なってしまいかねない。


全てを受けいれることは

愛に近づくということ。

それは
全てを認める行為であり、

愛とは何か?
ということではなく、

誰もが
事情を抱えながら生きているのだから
自分だけがと思う必要もないということだ。


そのことを理解することで、
上澄みだった薄いカルピスのような人生が
一気に濃縮還元のように濃いものになり、
囚われた幻の現実から
一抜けすることができる。

だからあなたもわたしも
起こっている現象は違えども
同じように悩み苦しんできた人間ということで

今日ムカついた
アイツにもやはり事情があり、
それをムカついたあなたにも
やはり事情があったのです。

今日二日酔いのワタシにも
やはり飲みたかった事情があるのです。
(これは言い訳w)

ということで
4月も始まりまた新たな気持ちで
発信して参ります(^^)

いつもお付き合いいただき
ありがとうございます。

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