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母親であることを試された日

久しぶりに辛かった。
昨日から珍しくもないが
少し落ち込んでいた。

息子のこと。

友人の何気ない一言で
息子は 
悲しい思いをした。
と先生から連絡があった。

すぐに友人のお母さんからLINEがきた(グループLINEで全てのお母さんとは繋がっている)

今日はご子息を悲しませることを
自分の息子が言ってしまった。

と寝耳に水。

子ども同士のことだから。

とLINEを返したが、
息子の様子がいつもと違うのが
一目瞭然だ。

3歳の息子は
気持ちを理解するためには
時間が必要なのかと
彼からの言葉を待った。

状況把握のためにも
今後のためにも、

わたしから
電話をしたのだ。

すると、
仕事中で出れない。と

告白もしていないのに
フラれたような気持ちになった。

かかってもこない電話を待つ
都合のいい女に成り下がっている
ような気さえした。

晴れない気持ちは
私も息子も同じようだった。

目覚めが悪い。
なんだかいつもの
調子になれない朝。

あついシャワーを浴び、
無理矢理
目を覚ました。

息子を幼稚園の送迎バスに
見送ったが
うつむき加減だった。

無邪気な息子の成長は
わたしにとっては胸がはち切れそうな
イニシエーションだ。

鈍感なフリをして
ガサツなフリをして
生きてきた。

辛い時は
舌を噛みながら
笑顔を作った。

不器用な私なりの
自己防衛も、
もう時効が
きてしまったのかもしれない。

改めて、
お友達のお母さんに、
直接なにがあったのかお尋ねしたい。
とLINEをした。

すると思ってもいなかった
言葉に動揺が隠せなかったが
反射的に、
無難にやり過ごした。

そう、
やり過ごしたことで、
私はわたしを落ち込ませたのだ。

なぜわたしはそのお母さんに
配慮しなければならないのか?
なぜわたしはその息子に
配慮の言葉をかけたのか?

なんだったら、
ご主人さまにまで、
なんて言ってしまった。

自分の器を知った。

普段どれだけ偉そうなことを言っても
所詮、裸の大将だったのだ。

戦わなかったのか。
いや戦えなかった。

いやいやこれは戦いでは、
なかったと願っている。

人は迷惑をかけて生きているのだから、
人のことを許しなさいとインドの教えである。

謝る側も
謝られる側も
辛い思いをしているのは同じ。

嬉しいときも
悲しいときも
子どもはみんな
母親を基準に生きている。

仏壇の母に思いを寄せる
自分だって同じだ。

わたしは
自分に呪いをかけてきた。

理想の母親や
理想の子育て。

それは自分勝手に
自分を苦しめた。

だから思う。


子どもの味方でさえ
いられたら、

ものわかりのいい母親にならなくて
いいということ。

こどものためという
偽善者になんか
なるもんか。


ということで、
気持ちを切り替えるとするか。

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