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幸福の義務化

「幸せになりたい」と願っても、
「幸せにならなくてはいけない」
とは思っていない。

「痩せたい」と思っていても
「痩せなければならない!」
と思っていないうちは
目の前の欲望に負けて手が伸びる誘惑の塊。

「結婚したい」と思っていたとしても
「結婚しなければならない」
と思っていないうちは
「いい人がいないのよね。」
と独身でいられる理由を模索する。

have to~は客観的な理由で「〜しなくてはいけない」ですが
mustは主観的で強制力の強いニュアンスを含むので、

「幸せになる」=musutなのだ。

私たちは、
幸せになる権利ではなく、
幸せになる義務がある。

それ身勝手に放棄したり、
棄権してはならない。

そのためには、
「幸せ」とは何か?
をまず知る必要がある。

アランは
「不幸になるのは簡単であり、
幸福になるのは難しい」と言った。
しかし、

「手に入らない」とは言っていないのだ。

「努力」を惜しむなということ。

筋肉をつけたければ、
筋トレをするように、

幸福になるためにも
トレーニングが必要である。

そのためには、まず
善悪を自分勝手に付けないこと。

「雨が降って嫌だな〜」
と思うのか
「恵の雨だな〜」
と思うのかで
現状は変わらないが
急に雨が
ありがたいものに変わる。

世間では「凶悪」と思われるマフィアのボスも
孫にとっては「世界1優しいおじいちゃん」
かもしれない・・・。

デートを遅刻する彼氏に
腹を立てるのか、
実は私のために
お花を買いにいってくれているのかもと
思って待っていると
その時間さえ愛おしく感じるかもしれない。
それが二日酔いで遅刻だと知ったら
一発殴りたくなるかもしれないがw


状況や立場によって、
「幸」や「不幸」が決まるのではなく

「捉え方次第」だということ。

「群盲象を評す」という言葉を知っているだろうか?

インドの寓話で、

数人の盲人がそれぞれ象のや耳など別々の一部分を触り
その感想について語り合う。

一人のものは「象は蛇のようなもの」
また一人は「象はうちわだったよ」
など、
みんな自分が正しいと主張したのだ。

しかし、
誰もが象という全体を知らずに、
一部分のみを触り、
それが全てだと思い込んだのだ。

だからと言ってそれが間違いではなく、
どの人の言っていることも正しいのだ。

だって、
どれも「象」であることに違いはないから。


私たちはつい、目の前の出来事や
人の一部だけで判断をしてしまう癖があるだけ。

でも、いつも
全体を見ようとすると、

悲劇も喜劇に変わる。

「人生は近くで見ると悲劇だが遠くから見れば喜劇である」
とチャップリンは言っている。


「幸福」のあり方も、
人それぞれによって捉えかたも感じ方も違うのだから

1つの型にあたはめる必要も
あてはあまろうとする必要もない。

ただ、共通して言えることは
「ご機嫌でいること」
これが幸せになる1番の秘訣であること。

今日も私とあなたが
ご機嫌な1日を過ごせますように❤︎

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