形に残したい言葉
古くは木簡から書簡へ。特定の誰かに向けてしたためる手紙。身分や肩書に関係なく、誰もが平等に使える郵政制度が設立されてから、今年で150年になるらしい。歩けばポストがあって、重い荷物も難なく届けられる。急用でもネットひとつですぐに届けられて、離れていても同じ瞬間に同じ言葉を共有できる。
ことある毎に手紙を書いた。授業中にこっそり回して怒られた手紙、本の中に挟まったノートの切れ端に書かれて消された告白文。上京して離れてしまった大切な友人、新しい家族ができた友人への餞。
「今日思っていることも明日には変わる。明日は明日で、考えることが現れる。だから、伝えたい言葉はその瞬間に形にしなくちゃね」
昔習っていた習字で、先生がいつも言っていた。練習をめんどくさがるわたしへの鼓舞だろうけど、金言の如く自分の中に残り続けている。
昔は紙にやっと書いた文字が届けられるまで、いろいろな人を繋ぎ、何日もの日数を重ねたはずだ。何日経っても変わらないこと、取り消せない気持ち、何度濾過しても残った大切な言葉をそこに記して、届けたはずだ。だからこそ、一行が歴史を動かしたこともある。言葉というのは強く、美しい。
指先だけで、しかも一瞬で言葉を届けられる今だからこそ、自らが紡ぎ出す言葉を見直すことを忘れないように。そして、この先も形に残したい言葉があるときは、その都度手紙を書こう。
拝啓、やわらかい風が心を華やかにする季節になりました。お元気ですか。あなたにもらった服を特別な時に纏い、大事な時に選ぶとっておきの服の物語を話せるような大人になったと思います。気軽に会えるご時世ではなくなってしまいましたが、こうして手紙を書くことのあたたかさを再認識することもできました。
くれぐれも体には気をつけて。また手紙書くね。