renacnatta
アイテムにまつわる短篇エッセイ集
護謨(ゴム)と漢字で書くだけで、その存在がどういうものであるかが分かる。“護る膜”と書いて護謨。大阪府・八尾市で80年以上の歴史を誇る錦城護謨さんのところに社会科見学へ。 — わずかな力で伸び、あっという間にもとに戻る。魔法のような護謨は、わたしたちの生活にすっかり馴染んでいる。炊飯器の内側のパッキン、自転車のブレーキ、製菓用のシリコーンケース。ここ、錦城護謨でもそういった部品がたくさん生産されている。 「キャリーケースを持って空港に行くと、点字ブロックでガタガタして大
キラキラしたものに一度は憧れるもので、私ももちろんそうだった。私を外に連れ出すのが好きだった祖母に手を引かれ、ここに入りなさいと差し出された日傘を無視して炎天下の夏を駆け抜ける。美術館、博覧会、映画館。室内で催される様々な芸術は、幼い私にとってはただの散歩の延長だった。 夏休みも中盤に差しかかる頃、いつもよりきれいなワンピースを着せられる。どこへ行くのかと聞くと、祖母は「魔法使いに会いに行くの」と笑った。魔法少女に熱を上げて育ったのは言うまでもないが、それが架空のものであろ
懐石料理、びいどろ、着物、歌舞伎……。古くから続く文化は多種多様で、時代と共に形を変えながら現在まで残っています。 金彩は、染め上がった絹の生地に金や銀の箔、金粉等を接着する技術。友禅染をより華やかにする加工の一つで、安土桃山から江戸初期にかけて確立した伝統的な工芸です。 今や定番となったrenacnattaの金彩イヤアクセサリーは、金彩をイタリアのシルクに施すというもの。金彩ワークショップではrenacnttaの金彩イヤアクセサリーと同様に、イタリアのシルクに金彩を施し
金や銀の箔を使って着物を装飾していく金彩。日本では安土桃山時代に確立された技術とされており、友禅の着物制作の最終過程できらびやかな箔をつけてから、お化粧係と呼ばれることも。これは、金彩職人であり金彩作家である、上田奈津子氏のお話。 --- 社会人になって、タータンチェックの専門店で働いた。スコットランドで生まれたタータンは、氏族や一族を象徴する、家紋のような役割を果たすもの。敗戦を機に着用が禁じられるという歴史を乗り越えて、英国国王や女王をはじめ、国民の支持を得て後世へと
梅の実が旬を迎える季節に楽しむ梅仕事を今年もこしらえて。丸々と育った青梅にひとつひとつ手を入れて、瓶の中にしまう。この時間だけはゆっくりと流れ、いつかみた映画のようだと毎年思う。 悩むことすら楽しみなさいといわんばかりの、ゆるやかな気候がつづく日々。今日は長袖、やっぱり半袖。羽織を持っていく?なんて、朝から少しバタバタしながら身支度をする。でも、この騒がしさも好きだ。いつもと違う雰囲気の服を身に纏っても、今日は雨だから、と明るい言い訳ができる。 だから、朝起きて雨の匂いが
シャツを着てネクタイを締める。その瞬間に、一日がはじまる気がした。父は、毎日ネクタイを締めて会社へと向かう。 まだわたしが中学生だった頃、家族でイタリア旅行へ行った。せっかくならばナポリでネクタイが見たいと、口数の少ない父が言った。クラシックな店内から現れた店員さんは、ネクタイの話をしてくれる。 イタリアのビジネスマンはどんなに暑くても、ネクタイを涼しく着こなすことが美学とされている。素材や柄で工夫をして、季節に合わせて楽しむことが紳士の嗜みである、と。王道な紺色の、だけ
歴史をたどること19世紀末。まだカメラが一般家庭には普及していなかった頃、写真を撮ることができたのは写真館くらいだった。しかし1枚数万円と高価だったため、緊張して顔が硬くなる人が多かったらしい。そこで「say cheese!」と言って笑わせるようにしたのが、わたしたちもよく口にする「はい、チーズ」の由来らしい。 スマホやデジカメで、いつでも写真を撮れるようになった。大事な瞬間を収めることも多いけれど、実用的に使うことも多い。その日の食事を収めたり、出先で見つけた購入検討中の
200年続く福岡県筑後地方の伝統工芸であり、国の無形重要文化財でもある「久留米絣」。福岡県八女市で1948年から三代続く久留米絣の織元、下川強臓氏に話を聞いた。 --- 昔はどこへ行っても機織りの音がしていた。藍染の糸が干された景色と、絣のもんぺをきた職人たちが当たり前にいた風景。地域で多くの人が久留米絣の何らかに携わっていたのも、もう昔の話になってしまった。今では地元の人でも久留米絣を知らない人が多い。昔は普段着の着物や農作業着という認識で着られていたので、生活の中で当
友達の家に行くと嘘をついて、近所の花屋でカーネーションを買いに行った。小学生の自分には少し高くて、300円の赤いそれを一本だけ頼んだ。一本しか買えないのかと寂しい顔をしてしまったのを見られたようで、花屋のお姉さんはこっそりと他の小さな花も一緒に束ねてくれた。母の日にはじめて贈り物をした日の記憶。 母の日の始まりは、100年ほど前のアメリカ・ウェストヴァージニア州。ある女性が亡き母を追悼するため、1908年5月10日にフィラデルフィアの教会で白いカーネーションを配ったのが始ま
5月1日、夏の始まり。“May Day”と書かれ、古くからヨーロッパでは夏の訪れを祝う日として各地でお祭りが催されてきた。一方で近代においては「労働者の日」へと転化し、労働者たちが集まって権利を主張する日となり、現在では世界的に「労働者の祭典」の日とされている。 労働者主体のメーデーの始まりは1886年5月1日のアメリカ。14時間勤務が当たり前だった労働環境の改善のため、労働者がゼネラルストライキを起こして8時間労働の実現を要求したことに由来する。「第1の8時間は仕事のため
古くは木簡から書簡へ。特定の誰かに向けてしたためる手紙。身分や肩書に関係なく、誰もが平等に使える郵政制度が設立されてから、今年で150年になるらしい。歩けばポストがあって、重い荷物も難なく届けられる。急用でもネットひとつですぐに届けられて、離れていても同じ瞬間に同じ言葉を共有できる。 ことある毎に手紙を書いた。授業中にこっそり回して怒られた手紙、本の中に挟まったノートの切れ端に書かれて消された告白文。上京して離れてしまった大切な友人、新しい家族ができた友人への餞。 「今日
自然の記憶が流れる光沢の騎士、漆。落葉高木のウルシ(*)から採取される樹液で、古来より塗料として使われてきた。塗り上がった肌の美しさから、品格を背負って生まれたと言ってもいいほどに。 <採取されたばかりの樹液> 採取された樹液を用途に合わせて精製する。赤褐色の中に佇む光沢の束を拾い集めて、物に纏わせる。すべてを均一に美しいベールで包んでくれる漆の一層は限りなく薄い。 古い町家へ行けば、床の間のどこかには使われている漆。障子の縁や框、お客様を迎える場所に漆を塗る文化は、建
歩道橋の側で、黄色いカバーのランドセルを背負ったちいさな男の子と女の子が笑っている。手を振って、別れた。交差点で信号待ちをしている車の中で、花束を抱えた女性が寂しげな顔をしている。街を見渡せばたくさんの物語が春を迎えていた。 エイプリルフールという少しくだらない日を、わたしはひそかに楽しみにしている。古来フランスでは4月1日を新年としていたが、1月1日が新年と制定されたときに嘘の新年と騒ぐようになったことが由来とされているらしい。 おふざけ者は、待ってましたとばかりに渾身
落ち葉が少しずつ土へ帰りはじめて、高いところでは新しい芽が息をしている。春の訪れは、上を向くと感じられる。 どうしてみんな、綿毛を見ると飛ばしたくなるのか。わたしも例にもれず、たんぽぽの綿毛を探しては、めいいっぱい息を吹きかけた。風が来るまでわざわざ待って、春を託した幼い頃の思い出。 転校してしまった友人と下校中に寄り道をして、綿毛を送り出す儀式を行った。見えなくなるまで飛ばせたら願いが叶う、なんて噂を信じていた。 思わせぶりな態度で揺れた、淡い初恋。あの終わりも春だった
遊園地で迷子になってしまったとき、通りすがりの女性がわたしの手を引いて助けてくれた。多分、いちばんふるい記憶。彼女のつよい後ろ姿を、ずっと覚えている。 自分の居場所がなくなることは、こわい。どこにいるのかわからなくて不安になるのは、人も、そしてきっと物も同じだ。ウイルスが蔓延したこの世の中で、一体いくつの物が所在不明になったのか。用意なく旅に出されて無事でいられることの方が少ない。 この前、新しいスカートを買った。イタリアのデッドストックのシルク生地が使われている。この生
確信していることがひとつある。 わたしは、服が好きだ。 祖母からもらった服を、ずっと大切に着ている。まだ幼い頃「欲しい」とねだっていたようだ。そのことはあまりよく覚えていないけれど、成人式を迎えたときに話してくれた。そのときにもらった服は、特別な一枚である。 祖母のために仕立てられた服で、知り合いの職人さんがお祝い事のときに贈ってくれたらしい。話を聞いてから、その服を着る度にわたしの中で物語が再生される。日常が豊かになっていく感覚がして、心地よかった。 大事な日に、大事