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金彩

金や銀の箔を使って着物を装飾していく金彩。日本では安土桃山時代に確立された技術とされており、友禅の着物制作の最終過程できらびやかな箔をつけてから、お化粧係と呼ばれることも。これは、金彩職人であり金彩作家である、上田奈津子氏のお話。


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社会人になって、タータンチェックの専門店で働いた。スコットランドで生まれたタータンは、氏族や一族を象徴する、家紋のような役割を果たすもの。敗戦を機に着用が禁じられるという歴史を乗り越えて、英国国王や女王をはじめ、国民の支持を得て後世へと繋がれてきたという背景がある。

昔から少しニッチなものが好きではあったけれど、その環境のおかげで自分の家を意識するようになった。母が金彩職人だったこともあって、家紋が入った着物や伝統的な柄を取り扱っていたのを知っていたから。母はわたしが生まれた時から雇われの金彩職人だった。

そんな母の話を聞きながら、特殊技術にも関わらず見合った賃金をもらえていない雇われ職人がたくさんいることを知った。技術は昔のままでも、働き方はアップデートされるべき。そんな労働環境にどうしても納得いかなかった。雇われてやるよりも、自分たちでやらない?と私が退職を考えたタイミングで一緒に独立したいと声をかけた。もちろん、最初は渋られた。独立することで、適正な価格設定のもと仕事をしたいし、そうあるべきだと母を説得し、私は母の弟子として2人で金彩上田を立ち上げた。

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もともとの金彩は、着物に描かれた絵柄に合わせ、箔を様々な技法で施すことがほとんど。しかし、わたしは柄にとらわれずフリーハンドで描くのが好き。出来上がりを考えながら、ありとあらゆることに思いを馳せる。


そういえば、昔からいろいろなことを想像するのが好きだった。小さい頃は家に置かれた通販の雑誌を見ながら、自分だったらこの服を着てこの場所に行ってこんなことをするという空想を膨らませた。その“空想癖”は実は今でも続いている。金彩を施しているとき、金彩がのっているのは生地の上だけ。だから、描ける柄は見えるものだけになってしまうけれど、私の頭の中にはその先の景色が広がっている。この金彩の花たちのうしろには小さな可愛い本棚があって、古い本が並んでいる。ビンテージの家具が1点だけ置いてあって、庭には低めの花が咲いている───見えない”その先”をイメージしながら金彩を施すことは、ずっと無意識にやっていたが、私のクリエーションを築く大事な一部なのかもしれない。

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金彩をなくさないためには。
本来の金彩で言うならば、着物を着る人たちが減らないことが必要なのだと思う。だから、着物を普及させるべきなのかもしれないけれど、無理して着て欲しいとは思わない。文化をなくさないために、誰かに無理を強いることは果たして本当の意味で“残る“ということになるのだろうか、と。

伝統文化を残さなければという使命も正直あまりない。ただ、わたしが好きで持っているツールが金彩であっただけで、それぞれが自分に合った表現ができればいいなと思う。いろいろなものが溢れるこの世界で私の金彩を選んでくれた人には、期待以上のもので返したい。そんな思いでやっている。

金彩は着物に施さなくてもいい自由な代物。キャンバスは、自分で選べる。

形が変わることを嘆く必要はない。いいものは、時代に沿って形を変えながら、これからもきっと残っていく。わたしの信じる金彩は、わたしの中で、一生続いていくと思うから。

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【 金彩イヤアクセサリー販売情報 】
日時:7/13(火)21:00〜


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