わたしは、わたしになりたかった #国際女性デー
確信していることがひとつある。
わたしは、服が好きだ。
祖母からもらった服を、ずっと大切に着ている。まだ幼い頃「欲しい」とねだっていたようだ。そのことはあまりよく覚えていないけれど、成人式を迎えたときに話してくれた。そのときにもらった服は、特別な一枚である。
祖母のために仕立てられた服で、知り合いの職人さんがお祝い事のときに贈ってくれたらしい。話を聞いてから、その服を着る度にわたしの中で物語が再生される。日常が豊かになっていく感覚がして、心地よかった。
大事な日に、大事な服を着ること。そうすれば服を纏った一番外側までの自分を、もれなく愛することができる。そう気づいてから、わたしは服が好きなのだと思う。
何がわたしを喜ばせ、悲しませるのか。年を重ねるほどそれが増えたり変わったりして、なりたかった自分になれたと思えば次の理想が降ってくる。なんとかしようとし続けて今があって、これからもそうしていくのだ。
蚤の市で見つけたアンティークのガラス皿、ドライフラワーになって飾られた花束、旅先で出会った美味しい豆で淹れる珈琲、着ていても飾っていても物語が流れ出しそうな服。まわりに少しずつ「これを選べば一旦満たされる」というものが増えた。満たされた先でわたしは、自分が好きだと胸を張って言える。
ずっと最高状態を保つことは難しくても、自分を認めないことに帰着してしまうような行動はしたくない。少しずつ救う方法を知っていれば大丈夫。
自分に似合う服を着て鏡を見る度に、いつも思う。
わたしはずっと、わたしになりたかった。
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