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「joker」を見て、考えさせられた3つのこと

みなさん、こんにちは。田畑 蓮です。

先日、話題沸騰中の映画「joker」を見てきました。

米国では、社会問題にまでなっている映画らしいですね。

今回は、そのような「joker」のあらすじを紹介してから、私が見て、考えさせられたことを3つ書いていきます。

多少のネタバレがありますので、まだご覧になってない方は、ぜひ劇場へ。


あらすじ

孤独だが純粋な心を持つアーサー・フレック(フェニックス)は、コメディアンを夢見ながらピエロメイクの大道芸人として暮らしている。「どんなときも笑顔で人々を楽しませなさい」という、母の言葉を胸にして……。

しかし人々は、世間は、彼に対して冷酷だった。なぜアーサーは、悪へと変貌してしまうのか。隠された真実が明らかになっていく過程に、見る者の感情は千々に乱れていく。

(映画.comから引用させていただきました。)



私が「joker」を見て、考えさせられた3つのこと。


善悪は主観でしかない。

これは劇中のセリフの1つです。

主人公のアーサーは、無意識に笑ってしまう病気を持っていたり、コメディアンとしての職を失ったり、自分が養子だということを知ったりと、悲劇の人生を送っています。

しかし、劇中のほとんどの登場人物は、悲劇の主人公アーサーを笑い者にしています。

「ひどい、、、」

私も最初はそう思いました。

しかし、よく考えてみてください。

これは我々の現実も同じではないでしょうか?

他人の不幸話や失敗談が好きで、面白がっていませんか?

『他人の不幸は蜜の味』

このような言葉もありますからね。


けれども、これは悪いことではなく、当然のことだと思います。

幸せや不幸というのは、何かしらの基準があり、比較せずには測れないものです。

つまり、他人の不幸を感じずに、自分の幸せを感じることはできないのです。

自分の幸せは他人の不幸であり、他人の幸せは自分の不幸ということです。


主人公アーサーが、あそこまで狂気的な人物になってしまったのは、自分の悲劇の人生を客観視し、喜劇の人生だと考えることができたからでしょう。

悲劇というのは、主観でしかなく、客観で見れば、喜劇ということです。


人間は弱肉強食ではない。

弱肉強食は、自然界の掟ですよね。

しかし、人間界は少し違うと思います。

強者には弱者と対等に向き合い、思いやる義務があると思います。

なぜなら、強者が自分たちの都合の良いことばかりをしていたら、格差が生じるからです。

その格差は不満へ変わり、デモやテロに繋がります。

グローバルな視点で考えると、日本は経済力の高い先進国の1つです。

日本が、経済力を横暴し、自国に都合の良いことばかりしていたら、他国から反感を買いますよね。

それは、個人になっても同じことです。

社会という組織の中で生きる以上、他者に対する“優しさ”は、欠かせません。

その“優しさ”を持つためには、“痛み”を知ることが必要です。

なので、「joker」のようなメランコリーでアンハッピーな映画や文学作品に触れることは、重要なことだと思います。


デモやテロは日本でも起こりうる。

最後のシーンでは、jokerに扮した市民が、政治家を射殺したり、主人公アーサーを連行しているパトカーに車で突っ込むなど、秩序が崩壊していました。

今、ニュースでデモやテロを見ても、平和な生活を送っている我々日本人からすると、非現実的に感じませんか?

しかし、将来は、日本でデモやテロが起こる可能性は十分あります。

なぜなら、そもそものデモやテロの1つの原因として、経済格差が挙げられます。

いわゆる貧富の差ですね。

日本は現在、世界3位の経済大国で、非常に裕福な国です。

しかし、これから中国やインドなどを筆頭に発展途上のアジア諸国が次々と経済成長を遂げるでしょう。

そうすると、ますます超高齢化社会になっていく日本は、気がついた時には、貧しい国となっているかもしれません。

以前よりも貧しい生活を強いられる人々は、解決策を国の政府に求めます。

その解決策で人々の生活が改善されなければ、デモやテロに繋がります。

そう考えると、数十年後の日本で、デモやテロは十分起こりうるでしょう。



以上が、私が、「joker」を見て、考えさせられた3つのことです。

1回見ただけでは、奥が深すぎて、理解しきれてない部分もあるかと思います。

また2回目、3回目と観に行きたいなと思っております。

今回はここまで。ありがとうございました。