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嘘も悪意もない言葉でも人を傷つけるし、影響も与える。


私には、嘘も悪意もないなら思っていることを口に出していいと考える人が身近にいました。

その人は、自分の母でした。

どストレートに傷つくことを言う。でもそれは悪意なく正当な評価だと言うのです。

私たち兄弟は、そんな母に育てられていました。

姉はとても優しい人です。ふわふわしていて、マイペースなのですが、デリカシーのない発言が目立つ人ではありました。
でも悪意も他意もないので、私はどんなにデリカシーのない言葉をかけられても、姉の考えを理解出来ていたし、ただ自分につけられた傷をどう消化しようかと悩むだけでした。

けれど姉は周囲から、他意がなくても言っていいことと悪いことがある事を学び、言いたい事を何でもかまわず言わない方がいいということを学び、言葉を選ぶようになったので、元々持っている優しい性格が格段と優しい印象を持つようになりました。

兄と私は、デリカシーのない人の言葉に酷く傷つくタイプになったので、余計なことは言わないようになりましたが、いつの間にか母が言うように【正論】が正義なんだと思うようになりました。

そして、兄は失敗を恐れるようになり、正論を追求するようになり
私は、自分の誤った人格を否定するようになり、正論の追求と実践をするようになりました。

 たしかに、等身大の自分を見つめることは、とても良いことです。
だからこそ私は傲慢とは程遠い性格になりました。

正当な評価をもらえることは、傲慢になる事とは程遠く、健気に生きていけることもあるのだろうと体感しています。

でも、評価してもらうとしても、言葉選びがあると思うのです。

そして、その【評価】だとする言葉が今その人にとって、本当に適している言葉なのか。
その人が必要としている言葉なのか。

それが人に言葉を渡すときに重要なことだと思うのです。

そして、言葉をわざわざ選ぶという行為は、決して窮屈なことではなく、愛と思いやりです。

その愛を渡す事によって、その人がさらに愛のバトンを誰かに渡す循環が出来る。

こどもは、親がする事になんの疑問も覚えなくなります。最初の宗教は言わば親が宗教であり、洗脳に近くなる。

鳥の羽化した時に、初めて見た生き物を親だとするように。

親がこれが正しいと教えれば、こどもはその通りだと思い込み、他人から悪意があると思われる言葉だったとしても、悪意なく選ぶ可能性が高くなる。

けれど身内以外の他者からの価値観や考えを取り入れることや、体感する事によって、人はその親から教わったことの違和感から少しずつ抜けていけるのだと思います。

もちろん、優しい言葉だけが救いではありません。厳しさや叱ることは大切です。

厳しさとや叱ることと、悪意がないから汚い言葉や傷つける言葉を選ぶのは、別のお話です。

 私は「片親で必死に子供を3人育てているから、あなたの親は偉いんだ。敬いなさい」

という周りの声には、疑問を深く深く持ちました。

そうではなく「いい教えをしてくれるお母さんだね」といわれたときは、とても納得して

「そうなんです。こういうことを教えてくれた事には感謝しています」

と、素直に言うことが出来ました。

多分「あなたの親は大変な思いをしても子供たちと一緒にいたい選択をとったのだから、親のことが好きなのであれば、家事を助けたり、あまり心配をかけないようにしてあげなさい」

と言われていたら、私の感じる違和感も無かったのかなと思いました。

言葉は、難しいです。
いつもいつも、色んな人が言葉狩りにあっています。

そういうつもりで言ったわけじゃなかったと思うこと、誰にでもあると思います。

後々発した言葉に後悔すること。
相手の発言を疑うこと。

色んな文化があって、色んな国があって、色んな言葉がある。

どこの国も自分たちの母国語を100%使うことも、理解することも出来ない人が多いです。

言葉は沢山あるのに。

言葉にできない感情も沢山ある。
言葉を知らないだけなのかもしれない。
でも自分は知っている単語も、相手が知らなければ伝わりません。

人と人との関係はそういう事に良くも悪くも作用していきます。

私が占いリーディングでしていること。
それは皆様の猫背になって俯いた姿勢や視野を真っ直ぐに戻すこと。

そして柔軟体操の方法を教えて、頭や首をくるくると回せるようになって、色んな角度で物事を見えるようにしていくこと。

ただそれだけのお仕事です。

でもそれが何より大事だと思っています。

多くの人は人に何かを伝える時
猫背になった背中をバシンっと叩いて
「猫背になってるから腰が痛くなるんだよ!」と、分かりきったことを言おうとします。

そうではなくて

「前を向いていた方が素敵だよ。ほら」
って背中を伸ばした時の姿を、鏡で見せてあげることの方が伝わりやすいこともあります。

そういうリーディングが出来ますように。
忘れませんように。
私は自分自身に言い聞かせます。

まだまだだよ。私は言葉が強すぎるよって言い聞かせます。

自分の発する言葉は柔らかくあって、芯があって、グミのようなものであり続けたいと思うのです。

噛み続けても味があって、弾力があって、でも負担は少なくて、いつの間にか丈夫な顎が育っている。


私の大好きなハリボーグミはこどもたちの咀嚼力を強化するために作られたそうです。

そんな愛のあるリーディングができますように。

私の一生の課題です。

どうか多くの人がそんなグミのような言葉を紡ぐ意識をしてもらえますように。

REN

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