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妖精からプロテインを込めて
事故物件という話は、聞いていない。
それでも、この部屋は何かがおかしい。
規則的に叩かれる壁、誰かに見られているような感覚。夜、耳元で聞こえる誰かの声。
引っ越す金もなく、途方に暮れていた私は、友人からの勧めで霊媒師を呼ぶことにした。
「先生。この部屋で変なことばかり起こるんです。これは、幽霊の仕業なのでしょうか」
年老いたお婆さんが来ると思っていた私は、自分と同年代くらいの、どこにでもいるような女性がやってきたので、少し緊張していた。
彼女は手にした数珠を鳴らしながら周囲を見渡すと、静かに口を開いた。
「いいえ、ここに幽霊はいないわ。いるのは、妖精よ」
「よ、妖精?」
どうしよう、予想外の単語が飛び出てちゃったよ。
「おとぎ話によく出てくる、超自然的な存在よ。あなたも知っているでしょう?」
「知ってはいますけど、それは作り話でしょ? そもそも、ここは日本だ」
「国境なんて彼らに関係ないわ。それよりも問題は、何の妖精なのか、よ。初めて見る姿だわ」
「そ、それは大丈夫なんですか?」
「私の手を握って。そうすれば、あなたにも声が聞こえるはずよ」
急に手を差し伸べられるが、女性の、しかも同年代の手を握るなんて経験がなく、ためらってしまう。
そんな私の態度がじれったかったのか、先生が有無を言わさずに私の手を握った。
私がビクリと反応することなどお構いなしに、先生は真剣な顔で部屋の一点を凝視する。間もなく、ぼそぼそとした声が、私の耳にも聞こえてきた。
「せ、先生。何か聞こえます」
「いいわ。この調子で波長を合わせれば、妖精の言葉が聞こえるはずよ」
ぼぞぼそとした声から少しずつノイズがはがれ、その言葉を明瞭にしていく。
そこで、聞こえた言葉はーー。
(鍛えるのです、筋肉を。)
「…………先生。なんか、変な言葉が聞こえます」
「いいえ、何も変じゃないわ。筋肉を鍛えることはごく一般的なことよ」
「妖精が言ってるから変だって言ってるんですが?」
「筋肉の妖精なのね。初めて見るわ」
どうしてこの人は納得しているの?
私の混乱をよそに、姿の見えない妖精の言葉が続く。
(あなたは、筋肉に祝福された子。あなたにはセンスがある。さぁ、鍛えなさい。鍛えぬいた身体を私に見せるのです。)
悪寒が走る。命の危機を感じたわけではない。何か、尻の穴がキュッと閉まるような、ねばっとした視線が私の背中を震わせたのだ。
「せ、先生!全身をなめまわすように見られている気分です!」
「それは妖精さんからの期待の表れよっ!まずはダンベルからはじめましょう!」
「なんでそっち側なんですか!」
「ごめんなさい。私、筋肉が大きい男性が大好きなの」
急に変なことを言い出したぞこの人。逃げ出したいが、掴んだ手が話してくれなっ、力つよっ!?
「どうしてそんなに力強く掴むんですか先生!」
「目の前に妖精が認める原石があるのよ!私、我慢できない!」
「我慢して!?目の前にいるのは依頼主ですよ!」
「違うわっ!未来のボディビルを背負って立つ男よ!」
「勝手に背負わせないで!?」
(私には見える。あなたの筋肉が世界を魅了する未来が。さぁ、鍛えるのです。久々に鍛えがいのある若者だ、逃しはしない)
「もう帰れふたりとも!」
私の叫びもむなしく、妖精は相変わらず、私の部屋で筋トレをするようささやくのであった。
ついでに、先生も帰ることなく居座り続け、筋トレをするよう説得をしてくるのだった。
いや、先生は帰れよ。
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