馬とネルシャツと私

巷にこんな曲が流れていた頃。
バンドをやりながら、東京競馬場に通い詰めた日々がある。

まだ、世の中に、ロン毛もパツキンも珍しかった頃。
まー、競馬場なんかにいると、さぞかし珍しかったのかもしれない。

とはいえ。別にごくたまに馬券を買って、たまに寒くなってきたら甘酒だのカップ酒をあおりながら。別に大レースがある訳でもないような日でもない時に、1日中、東京競馬場の片隅に座って、馬を眺めたりパドックを覗いたり。

時折、これは荒れそうだ、という○○特別、みたいな妖しいレースが来ると、複勝狙いのセコイ買い目を試したり、100円総流しで穴狙いで遊ぶとかしながら、夕陽の落ちるまで、そこに居続けた。

別に何をするでもない。馬が目の前を駆け抜けていくのを見るのが好きだった。最後の直線で火花を散らすのも、最初っからもう、勝つ気なんかありましぇーん、みたいな感じですっとぼけて走っていくのも。牝馬のケツを追いかけたっきり抜くこともできないスケベな牡馬も。

それこそ、色んな馬たちが、色んなレースの中で、色んな走り方をした挙句。

勝てば天国、負ければ肉屋。

勝てば、歴史に名を残す名馬として、後世に名を刻むのに。負ければ、乗馬、廃用、まあ、一言で言って肉屋の軒先(今はそんなことないでしょうけどね)

究極の分かりやすいまでの経済動物として、いびつな形で育て上げられた動物。

僕は、そこに『究極の経済音楽として作り上げられる音楽の形』を見ていた。つくづく、競馬とは、バンドのようなものだね、と、些か皮肉な目で見つめながら。

今も僕は、時折、バンドの中に競馬を見ている。

ライブ、次のライブと、どんなステップレースを踏みながら、ここぞという所できちんとした表現の場を作るか、ということを、馬主と調教師の気分で、馬をレースを走らせるようなローテーション組みになぞらえて考え、『このスケジュールだと、リハーサル何回目で、この曲が仕上がるから・・・こういう曲の流れにして、ここでこの曲で勝負。』とか。

バンドのメンバーを率い、その日のライブの演奏の曲目を考える時には、持ち時間をレース距離に見立てて『ここで好位に付けて、あとは勢いで押し切るか』だの『最終コーナー回って直線一気!』だの騎手になった気分で仕掛けを楽しみ。

トチ狂って、当時やっていたグランジのバンドでは、競馬ネタかよ!というような曲を書いて、メンバーに何食わぬ顔で提示してた。

すいませんね。
誕生日が、ほぼほぼ日本ダービーになることが多いもんで。

いかん、いかん、油断してると、すぐペンペン草が生えてくるw

・・・となりのおっちゃんが『バカヤロー!武!何やってんだよ!仕掛けが遅い!チキショー!』とか絶叫しながら、さっきまで万馬券の夢を背負っていたはずの馬券を風に散らすのを眺め。

一頭、また一頭。一人、また一人。
歴史の一瞬に、ほんの一瞬。

濁流の中に浮き沈みする木の葉の揺れるのを眺める気分で、ずっと見つめていた。

だから、彼らの姿を見届けて、その想いをポケットの中のメモ書きの中に、詞にもならない言葉や想いの羅列を、徒然に綴りながら。

あの、夕陽の遥か向こうに。

駆けていく馬たちの姿を見ていた。


ミホノブルボン、という馬がいた。

今更、ウマ娘でおなじみの馬を、私が講釈垂れる必要も感じないので、勝手にググって頂きたいのだが。あの馬を見た時に思ったのは。

何だ、あのサイボーグみたいな筋肉は!

・・・いやさ、本当にもう、馬に見えないんだよ。

本当は1200m(超短距離)位しかスタミナが持たないと言われていた馬が、『負けるだろう』の下馬評を覆して2000mとか2400m というロングディスタンスのレースまで奪い去り、よもや三冠まで奪うのではないか、と思われたあのスリリングな年。無敗の二冠馬。

あのサイボーグのような肉体を見るたびに、複雑な思いにとらわれたのは事実だ。

今は亡き、戸山調教師(1932年1月5日 - 1993年5月29日)の競馬人生の集大成。あまりの猛スパルタ調教ぶりに、流石に目を潜める人達に対して

『何が可哀そうだ。この馬たちは負けたら肉になるんだぞ!どっちが可哀そうだ!』

何と逆説的な愛のカタチだったのだろう。

スパルタ調教をしてでも勝たせないと、この馬たちは負け犬として肉にされてしまう。それのどちらが可哀そうだと突き付けた、戸山調教師の戸山イズムの愛の結晶

ミホノブルボンは、気性の素直な馬だったそうだ。だからこそ、黙々とその素直さで、戸山氏のスパルタ調教に耐え続けて、いつしか、あのサイボーグのような肉体を手にして走り続けた。

1992年、並みいる名馬の仔たちを、たかが短距離走の得意な2流の血統として蔑まれた彼が叩き潰していくその姿。それは、貧乏なロックスターが、金持ちの一流の血統を実力でねじ伏せ、成り上がっていく姿にも似ていた。

距離適性が短距離と言われたのに、彼は、その距離適性を、壮絶な訓練と素直すぎる精神力で克服して、倍近くまで伸ばしていた。ほぼほぼ万能適正と言われるほどまでになっているのは確かだった。

『・・・何か、必死になってボイトレとか、楽器練習に励んでる奴らみたいだよな。』

競馬場で、ミホノブルボンの姿を見つめた僕の眼には、仲間内にいた日夜たゆまぬ鍛錬で努力を惜しまず、その素直さで技術を磨き込む、仲間内のボーカリストたちの姿が重なって見えた。

練習、練習、また練習。日々練習。腱鞘炎になるまでギターを弾き込んで、声を枯らすまで歌い続け、身体を鍛えマッチョになり、いつしか誰も歌えない歌を歌おうと努力する姿は、いじらしくも美しかった。

けど、それ、鍛錬辞めた瞬間に無くなる能力なんであって。

本当の天賦の才を持ったものが、自分の最適な適正に照準を合わせてきた時には、ただ歌いこなせる程度の技術では、太刀打ちができない。

・・・神は時折、努力の秀才を叩き潰す天賦の才に、光を当てる。

ライスシャワー。長距離血統の血。

ダービーではドベに等しい人気だったのに、2着に突っ込んできた天賦の足。これは・・・・

3冠取って欲しい気持ちと、天賦の才に恵まれた伏兵の台頭と。

・・・果たして、どっちを応援していいのか、分からない気分に駆られた、あの年の想い出。


その年、日本にNirvanaが紹介されたことで、グランジ旋風が吹き荒れていた。

ギター雑誌が『耳コピ間違ったんだか、本気で理論を勘違いしてるのか』間違ったコードで紹介してしまったために、巷の高校生が学祭でトンチンカンな Smells Like Teen Spirits を演奏してるのを聞きながら。

『あの歌い方を正しく評価できてる奴、いないよなぁ・・・』

あれ、日本人のキンキラハイトーン以上に、喉に負担をかけるやり方なんだけどなぁ・・・

あの歌い方を真似すれば、30歳までに声が潰れる、と本人も警告されてたんだそうだが。

当然、ボイトレ教師が、そんな歌い方を生徒に教えられるはずがないし、教えるはずも無いだろう。やってたら止めるだろうけどね。

で、そのやり方をやったら30歳までに自分の声が潰れるかもしれない、その一か八かに駆けてでも何かを捕まえたいというのなら、自分で勝手に選んで、自分でやればいいだけです。知らない。そんな先。

それに対しての自己判断として、自分がその潰れても構わないという覚悟を背負ってやればいい。潰れたら潰れたでその時だし、もしかしたら10人に1人位は・・・ミホノブルボンのような無敵の声を手にするのかもしれないし。もう、声がかすれて、幽霊のような声しか出なくなるのかもしれない。

で、一度壊れた声は元に戻らないのだが・・・そこでどんな風に声が変わるのかなんか、誰にもわからない。そこも含めて、自分の道と覚悟できる奴だけが・・・あの声を手にするし。それで30歳までの間を輝いて消えていくのだとして、本人がそれを良しとするのか。

そこまで人の関与する話なのかどうか。自分には全く分からない。
そんな事を思いながら、ミホノブルボンと、ニルヴァーナは、何故か被って見えた。

どちらも最後は、大輪の花を咲かせ・・・

しゃぼん玉とんだ、屋根まで飛んで
屋根まで飛んで、壊れて消えた。

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