アイマイナナニカ(3)

ここからの続き。固い話だけでもアレだから。いつもの調子で書いてみる。

例えば、前章の男の子が、人の話をよく聞きつつ、自分の考えとすり合わせながら、自分で自分の軌道修正を出来る子だとしよう。こちらも、その子の考えをいきなり否定するのではなく、問いかけという事にしたらいいのだが。

『なるほど。ギターが好きなのと、そのアーティストさんのその曲が好きなのはすごくよく分かったよ。でも、そのアーティストさんの曲をギターで最後まで弾けるようになっても、ギターが上手になって、その曲が歌えるようになるだけだよね。で、ベースも弾きたい、作曲もやってみたい、と最初から全部欲張ってしまうと、どれも中途半端になってしまうと思うんだ。多分、ギターを弾けるようになるまでにも1年位かかるだろうから、そこから1年ごとに違う勉強して、とかなると時間もたくさん必要だから、自分で本当にやりたいことを一つに絞るとしたら、どれを中心にしたい?』

と、たずねてみながら、一つ一つ、その子が自分のやりたいことを整理できるように導かないと。

『お前、今日から俺んちに住み込みで特訓だ!』

という事にしか出来なくて。だから、結局『落語の内弟子』と『外弟子』っていうシステムが、どんだけ役立ってたかというのは分かるんだけど。あれの違いを分かる人も減ったのだろう。

かつての内弟子とは『師匠の家に住み込みで、稽古をつけてもらいながら、共に連れ歩いては、”弟子として育ててますので、よろしくお願いします”と顔を売る手伝いをし、その場を通じて芸人としての心構えやしきたり、或いは生活を共にしながら教養や人間教育を行うための場』であり、外弟子は『単にその芸を得意としてる人の所に出向いて教えを乞う』というものだったのだそうだ。芸事の教育と継承が、それだけ時間がかかるものだということを分かった上でのシステムだったと言える。

そうした事の機微は、今は亡き古谷三敏先生の昭和の名作『寄席芸人伝』でも紐解くとよろしかろう。

でも、そうした話も、結局は『生徒が聞く耳を持ったうえで、生徒自らの判断を尊重する事を大事にしてくれる先生との出会いで、長期に渡る信頼の果てに成し遂げられる話』なのであって。

もし、その生徒さんが『人の言う事も聞かない、どころか、セッカチにイージーに結果を求めるタイプ』だったとしたら、もはや先生としても、手の付け所がないことになる。

要はですね・・・ このさっきの彼が、とても『せっかち、かつ強引にでも自分の願いをかなえる事』だけを優先にしている人で、かつ、その彼に『僕の考えを否定された!』と言われないようにしながら、かつ、彼の願いをかなえてあげられる人って。

実際、音楽業界に何人いるんでしょう
、という深刻な命題。

『君、この人の曲を弾けるようになりたいの?』
『はい』
『で、アコギを弾いてみたいと思ったわけは?』
『好きだからです』
『あ、作曲もやってみたいなと思って。』
『あ、実はギターよりベースも興味あります。』

何か、話せば話すほど、私は何を一体どうしてあげたらいいのか、分かんなくなってきたぞw

もしも、素直に人の話を聞かない生徒さんがいたら。
往年のドリフ大爆笑の『もしものコーナー』かよ。

その子の持ってきた曲は、150BPMくらいかね。で、基本、歌謡曲で歌われるような流れに意表を突いた転調をしこたまぶち込んだ、更におもちゃ箱ひっくり返したような効果音をデコレートした、いわゆる当世的な曲とでも言っておこうか。楽曲の拍数の刻みも多い。

アコギを弾いてる・・・その曲を何をどう練習してるのか分からないが『フレーズや、コードのチェンジが上手く行かない』と言っている。

コードブックか何かにでもなってて、それを弾き語りで歌ってるのか???

うーむ。だとしたら弾き方も我流の可能性あるから、フォームやピッキングから見直さんとアカンかもなぁ・・・ でもさ。

最初から作曲と打ち込み覚えた方がよくねか?

打ち込みがゴリゴリに主体になっている曲を、この子は何でアコースティックギターで弾き語りにしたいと思ったのか。

で。 作曲と。あ、ベースのほうが好きです。とかって言ってたら。
君は何のために、そこでギターを手にしようと考えたか?

『ギターを取りあえず一端、置いといて、打ち込みを・・・』
『僕の考えを否定された!』
イヤーン!

『ギターを取りあえず一端、置いといて、ベースを・・・』
『僕の考えを否定された!』
イヤーン!

『ギターを取りあえず一端、置いといて、作曲でも・・・』
『僕の考えを否定された!』
イヤーン!


そこを何で本人が、そういうことやる気になったかが一番不明なんすけど!

『そうか・・・君は君のやりたいようにやれ。』

軌道修正するほうが、本人の一番手に入れたいものがあるはずなのだが、本人の考えを尊重する、という行為が一番、あさっての方向へ向かう場合。

教師として何が一体正しい行為なのか。
まあ、その曲、アコギでコード弾きで歌わせるとこまで行くか。

『ギター聞いてギター弾きたくなった子にギターを教える』ってのは、これほど簡単な事は無いのだが・・・『音楽やりたいんです!って、相談されて、その子の意思を尊重しながらやりたいことやらせる時に』

これほど、やりづらいことって無いったら。どうせ、人の話も聞く気ないし、そのまま辞めちゃうかもだし・・・と放置しておくと。

『あの先生んとこ、うまくなれないよ。教えるの下手。』

ギャース!


先生とこ来て、先生の提案もアドバイスも聞きもしないで、我流押し通してうまく行かないのを、人のせいにすんなっ!っとハンケチ噛みしめて、さめざめと啜り泣きたくなるのを、ひたすらグーパンチに爪の跡にじませながら。

『目の前にいるのは生徒さんなんだ!まだ若い子供なんだ!自分は音楽の先生として怒ってはいけないんだ。』

1234・1234・1234・1234
グーチョキパー!グーチョキパー!グーチョキパーたらグーチョキパー!
ハッ!!!!

いやさ。

『音楽どうでもいいけど、ボカロPになりたいから作曲教えろ!』

とか相談された教師さんに

『Renさん、これ、どうしたらいいんでしょう。』

とトホホに暮れた話を聞き。

”私、音楽やりたいんじゃなくて、バンドがやりたいんです!”以来の迷言を聞いたような気分になり。

じっと手を擦る。足を擦る。

『僕の考えを否定された!』
イヤーン!


もはや地雷原の浜辺を歩いている気分。

彼は何かを始めようとしてたさ
ああ、彼は何かを始めようとしてたさ
(田舎という)闇の領域から
(都会という)地雷原の浜辺へと向かい
そして都市は彼を『その他大勢の一人』にしてしまい
金融文化の地下壕に潜む奴らの仲間に入ったんだ

他の町と同じように
群衆の中のどこかに迷い込んだ
地下深く
他の町のように
群衆の中のどこかに迷い込んだ
地下深く

彼は古いホテルでフラフラになりながら
エンジン全開で来客を歓迎する
彼は古いホテルでフラフラになりながら
エンジン全開で来客を歓迎する

Ren 訳

この瑞々しいマンチェスターの青年たちの心洗われるような『都会に出て有名になろうだの考えて、大都会に逆に飲み込まれ、金持ち文化の仲間入りをしようとする奴らへの壮絶な皮肉』の曲を聞いてた私をそこまで愚弄するか(スチャッ)

『・・・で、○○先生、結局、その後、どうなさいましたか?』
『ええ、流石にブチ切れて、追い出して、玄関に塩撒きました。』


でしょうねぇ・・・。

『あの先生は不親切だ!僕の考えを否定された!』

否定するわっ!

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