Ren.れん「未知への扉」を開く

初めまして、Ren.れん「未知への扉」を開く、にようこそ! 同じ世界、同じ時を生きるみ…

Ren.れん「未知への扉」を開く

初めまして、Ren.れん「未知への扉」を開く、にようこそ! 同じ世界、同じ時を生きるみんなへ、見えない世界とその仲間たちの輪に連なるための扉、その内側を共に楽しんでみたいと思います。どうぞよろしく!

最近の記事

3-8 反物質「自由転写」装置として、「ボウ」が機能する時が来た!

今回の話題は「ボウ」という無形質な物体を、有形としてできあがった物体と合体させると言う技術について話して行こう! この「ボウ」は既にこの世界にある、物質を変容する、魔法のエッセンスである。この「ボウ」の特徴は、入り込んだ先の物質に理想形を再現する、自然的なリセット機能の他に、入り込んだ先の物質のエッセンスを転写して保持する機能などがある。 これらの機能は「ボウ」が持っている機能のうちの一部に過ぎない。人が求める機能は、現実をどのように転換していくかと言う点である。 例え

    • 3-7 融合とは。物質の第三層域の交換。「ボウ」が「バウ」に与える変容は無限定。

      まったく無目的な、非物質「ボウ」が、我々の周囲に散乱している。目的も意図もない。ただ存在している非物体である。言語的に「存在する非物質」は意味を持たないけれども、認識の世界の住人である人類には、他に説明する手段が見当たらない。 なぜなら、我々は、意識側に有限的に存在していると思い込み、その意味では、なんとも不自由な世界観を強いられている。 ここに端を発する苦悩によって、我々の自由な霊性は七転八倒を繰り返し、やっと手に入れた肉体の中で我慢するしか方法がない、囚われの身となっ

      • 3-6 完全無形の「ボウ」を有形の隙間にある無形の隙間「バウ」に注入すると、変容が始まる!

        ここからは、無形と無形質との結合による有形質の変容について解説して行きます。有形質は人の思考の可視化した形成物という点については、前回あるいは前々回にお話ししました。ここでは、無形の「ボウ」をいかにして、三次元下に注入していくかについて主に話して行きます。 無形な「ボウ」は思考や意識とともに消滅する性質がはっきりしています。ですから、これを扱う場合には、終始、「ない」という不存在が保冷的に必要になります。これを「ナイナイボウ」と言います。無いものを有ると思考してはいけないと

        • 3-5 形のない無形「ボウ」が伝えるのは、人類の新たなる未来の「扉」である!

          「ボウ」理論は無形理論である。有形なら論に意味があるとは、論より証拠が出せるからである。 形のないものは掴みどころがなく、価値を見い出すことが難しい。この形という普通の理解を問い直さなければならない時が来た! 我々を包んでいる大部分のものは「有形」である。しかし「無形」が存在することは難しく、存在しないものの存否を問うために、無形は有形の対比でしか理解ができない。つまり、理解という有形証拠に行き着かなければ、無いものの存在を肯定されることは、未来永劫やってくることはない。

        3-8 反物質「自由転写」装置として、「ボウ」が機能する時が来た!

          3-4 未知の領域から得る「原形物ボウ」は智恵の源泉と点で結合している!

          この世界は、人々の思考によって、急速に物質化されて、一見するととても豊かになったかのようではある。しかし、それを手放しで喜んでいいかと言うと、それは、とてもそうではないと、誰しもが感じていることでもある。 この世界に生み出した思考物は、人を無力化して、その作られた世界に閉じ込めつつある。この閉塞的な世界から、ますます抜けられなくなりつつある。 自らの思考が、自らを縛っているとは!解き放つことが容易でない、物質世界、それを変化させるのは何か?時の経過を待ち風化を待つしかない

          3-4 未知の領域から得る「原形物ボウ」は智恵の源泉と点で結合している!

          3-3 時間を止め逆転させる「ボウ」を分離する。

          自在に使える「ボウ」を眼前に下ろす。下ろすということは、取り出すということです。「ボウ」という「不存在」は「存在」のDX化となるものです。可視化したものには時間と空間の縛りが必ず存在するけれども、これが全くない自由自在な「不存在」領域が、この「ボウ」の実態なのです。物質文明をDXできるものはこれしかありません。 不可視なものを可視化する必要はなく、不可視のまま不存在させることが、とても重要です。「ボウ」理論は、極めて物忘れが得意な、不思考を得意とする者が普段に用いているテク

          3-3 時間を止め逆転させる「ボウ」を分離する。

          3-2 歴史上のミラクルは、この「ボウ」を得た者が用いるテクノロジーである。

          不思議な能力は、もともと人の得意とするもので、誰でも、一定のことを為し得たのです。何もできない、ただの人間である現代人は、その意味では、退化している、あるいは、それを受け入れないか、止められてしまっている存在と言えます。 この不思議とは、想像すらできなくなってしまった、現象を引き起こすことがありえないという、日常の驚きのことです。 不思議には「驚き」が大きく関係しており、不可分なものです。我々の特殊と思える能力は、この驚きと関係しています。 ある意味、驚くことによって、

          3-2 歴史上のミラクルは、この「ボウ」を得た者が用いるテクノロジーである。

          3-1 「光線ボウ」は見えないが、尖った棘のような形状をしている。

          少しこれまでのところを、振り返ってみよう。「扉」については、それを開く道具が必要で、それを開くための「光線ボウ」、開いたあとに取り出す、道具としてのボウは「自在ボウ」と呼ぶ。 先ずは、開くための「光線ボウ」は存在側から無意識に発射する光線のようなものである。実際には輝いて見えるものではない。 この光線ボウは、存在側、つまり、人の体内から発している光線を、空間にある存在と不存在の接点に固定することによって作られる。 存在と不存在の隙間にあるファスナーを指2本でつかまえて、

          3-1 「光線ボウ」は見えないが、尖った棘のような形状をしている。

          info-3 「時空間サブクリエイター」募集します!

          募集要項 やりたい人 以上

          info-3 「時空間サブクリエイター」募集します!

          2-0 あなたの世界の主人公は誰? 私は私の世界のやさしい主人公なのです!

          次のstageに進む前に、我々そのもののことを、考えてみましょう。 人はどう言う存在なのでしょうか?存在しますか?生きていると言うことは何ですか?息を止めるとどこかに召されますか? 人はその存在を知り得ません。 知らないように、消されています。 可視化した世界は心の中です。 我々は1ミリも動きはしません。 時間は無く、空間もなく、五感という心の突起物で手探りする世界の住人です。 しかし、この居心地の悪い、地味に歯切れの悪い世界は虚構にすぎません。 どこへも逃げ

          2-0 あなたの世界の主人公は誰? 私は私の世界のやさしい主人公なのです!

          2-10 何もない、ということに、意味がある。存在しない「扉」は無限にある。

          ここまでで、第二のstageは終わりとなります。 ここまでを、復習してみましょう。 意識をしないで、ナイと感じながら、隙間から、ボウを取り、それを、物体に合体させる。そうすると、物体は変化、反転し、変容する。 ここまでが、簡単に言うと、そう言うことになります。大事なことは、意識というものを使わないということです。 意識をすれば、物質世界に飲み込まれます。 物質世界は、構築された「ココロ」であり、意識の反映であり、それらは、我々のメンタルの中身です。この中身に文句をい

          2-10 何もない、ということに、意味がある。存在しない「扉」は無限にある。

          2-9 反転が得意な「ボウ」は運命を好転させる名人。

          前提として、心や霊やメンタルという存在として確かめることのできないものは、無や空ではなく、実態であるということ。実態とは、肉体とそれを取り巻く居住環境やあらゆるインフラや植物や無機物や空間を取り巻くすべての、物体のことであるということ。 これを反対に見ると、肉体の中に存在すると思われていたものは、中にはなく、すべて物体として可視化されているということであり、人は皆、この可視化した心の中に生きているということである。 物質は非物質からできている。 このことは、意識を使えば

          2-9 反転が得意な「ボウ」は運命を好転させる名人。

          2-8 万能「ボウ」は「扉」の入口にあり、人間の観念の外側にある。

          人の観念や想念は、現実を創り出すためにある。つまり思ったことのすべては、絶え間なく、その人の現実を作っている。人が意識してもしなくても、周りは自分とは関係なく進んでいると見えるのは、ほとんど間違いである。 個々の人は、自身の世界を生きている。世界はその人の意思によって、作られていく。だから、皆、頑張って生きようとしている。それは、筋書きのほとんどはできていて、どのような人生にするかの、最後の選択を刻一刻と行って、現実を作り上げている。決して無関係な世界があり、そこにやってき

          2-8 万能「ボウ」は「扉」の入口にあり、人間の観念の外側にある。

          2-7 貰うのが手っ取り早い「ナイナイボウ」は自在な道具。慣れたら作れ!

          無いものに価値はない。今の世界は物質文明なので、無に帰するものに価値はない。 価値とは何か、我々に必要な物は、この地球時間に存在する、我々の意識によって作られたモノであり、価値と呼ばれるもので、やりとりされる。 存在以外には価値がない。いや、実は価値がないのではなく、無限の価値があるという、金銭では換算できない価値があるということであり、これを天からの恵みという。 恵みは、幸に、誰にでも公平である。それを知り、それを得る者には、その恵みがある。 ここでいう「ナイナイボ

          2-7 貰うのが手っ取り早い「ナイナイボウ」は自在な道具。慣れたら作れ!

          2-6 「命の革新」的なコトノハは「ナイナイ」だった。開け!「ナイナイ〜」って何だ?!

          この話は、「扉」へのアクセスのための、最大ポイントとなる部分である。 人は「アルアル」の世界の住人。これは、物質世界のことである。時のある世界のことである。 そして、「扉」の向こう側、我々の故郷は、「ナイナイ」の世界なのである。 この掲示を得るのに十二年の歳月を要した。これは無限の世界である。これを手にした瞬間に、私は、三日三晩、涙が止まらなかった。私が命の変革を起こした瞬間である。 この「ナイナイ」を受け取り、胸に大切に仕舞っておいた。私はこの「ム」を得た瞬間を決し

          2-6 「命の革新」的なコトノハは「ナイナイ」だった。開け!「ナイナイ〜」って何だ?!

          2-5 意識の「扉」を開く時が来た!目の前にある「自我」を超える瞬間とは。

          記憶には、人によっては、自我とは別の、自我として別れた、大我と呼ばれる、存在でない存在から分離した瞬間の記憶を有している人もいるだろう。そして、その記憶を辿ってみると、大宇宙の中で泳ぎ回る自我を懐かしく感じる者もいる。 皆誰もが大循環の中にあり、時のない、無限定の世界を故郷として持っていたことが、やがて、輪廻する時を超えて、その精神が行き着くであろう、元の世界を目指すことになる。 そのような別れた、貴方という、存在そのものにも、とても驚くべき瞬間が、間も無くおとずれること

          2-5 意識の「扉」を開く時が来た!目の前にある「自我」を超える瞬間とは。