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vol.14 As it had been

研修の合間。よく友達とストレッチをするようになった。ちゃんとリフレッシュ出来る上に、普通の会話がどこか色づくような気もするので、好きな時間だ。その日も一緒にしていると、ふと「こんなコントあったら面白いかもなぁ」と思った。

マラソンか何かのレース前という設定で、一人が軽くストレッチをしているところに、もう一人がやってきて同じく体をほぐし出す。ただその内容が少々高度だ。始めからいた人がどことなくライバル視して、負けじと難しいストレッチを繰り出すようになる。「僕、こんなところも伸ばせますよ」「こんなストレッチも知ってますけど」みたいな。やがてお互いにそんな応酬を浴びせるようになって、もはや何のためのストレッチか分からなくなってくる。インド民謡(そんなものあるか知らないけど)が流れてきて、訳分からなくなって、最後は号砲が鳴っても二人で協力してヨガのポーズ決めちゃったりして。台詞もいらないから、ボーダーレスな作品になるなぁと妄想した。

社会人生活が始まって2週間。まだ慣れない生活の中にこんなオアシスを挟みながら、なかなか濃い時間を過ごしている。満員電車でもみくちゃにされない方法を会得したり、家から持って行くお昼ご飯のメニューが定着したり、眠ることの価値が急激に跳ね上がったりした2週間。毎日にハイライトとなるような出来事がしっかりとある。

まもなく土曜日に変わろうとする頃、電車に揺られながら「これが人間だよなぁ」とぼんやり思った。

以前読んだ本に「人間のDNAは古来からさほど変わっていない」とあった。現代の歴史は、人類全体のそれに比べたら微々たるもので、急激に発達したテクノロジーに人間の体はついていけていないのだとか。僕は割と正しいと思っている。スマホを見続けると頭が痛くなるのに、キャンプの焚き火はいくらでも眺めていられるのも、そういうことだと思っている。

だから、いまの生活は暮らし心地が良い。

朝、隣のアパートの形に欠けた朝日がカーテンをなでる頃に目覚め、出社する。研修はハードだが、次から次へ飛び交う学びの原石をなんとかこの手で捕まえようとしている(ここまでお仕事の話を一つもしていないので不安に思った人もいるかもしれないが)。退社後は、同期とお店に立ち寄り、少し踏み込んだ話もする。

遠い遠い昔、今とは見た目も違う僕たちのご先祖は、朝日と共に目覚め、仲間と共に狩りや採集をし、日が沈むと火を囲んで収穫の喜びを分かち合った。太陽と一緒にに起きて寝て、苦楽を共有できるコミュニティで活動できる今の生活こそが、もっとも人間のあるべき姿なのかもしれない。

3月まではほとんど一人で何か考えているような生活だったから、余計に痛感する。もちろん、何にも触れずぼーっと考える時間も大切だが、同じ目的を持った人が集まって活動する時間は、この上なく尊い。何より、他愛もないことで思いきり笑える瞬間が本当に嬉しい。おそらく僕の表情筋は、ここ2週間の緩みっぷりに戸惑っているはずだ。

再び手にした人間くさい生活に、僕はいま肩までゆっくり浸かっている。しばらくはこの温かさだけで乗り越えられそうだ。

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