流されることに慣れてしまった
「いつまで家族で帯同するの?」
子どもがいる転勤族同士が会話をすると必ず出てくるこのフレーズ。
転勤生活の中でも1位2位を争う大きな決断だし、子どもが成長してくると避けては通れない問題なので、関心のある話題なんだ。
でもね、きっとみんなわかってるんだと思うの。
どれだけ人に聞いたって、自分の問題の答えにはならないことを。
家族の数だけ転勤の形がある
家族構成も、出身地も、勤務地も、転勤サイクルも、教育観も、金銭感覚も、理想とする家族像も、みんなそれぞれ。
同じ転勤族だからと言って、よその家庭でうまくいったやり方が自分の家族に合うものでもない。
それでもついつい聞いてしまうのは、いろんなやり方を参考にしたい、という気持ちがあるから。
そして、これはわたしだけかもしれないけれど、流されることに慣れすぎて、流れを変えるような大きな決断を下せなくなってしまったから。
流された場所で人生を楽しむスキルを得た代わりに失ったもの
自分の意思に関係なく住む場所を決められる生活のなかで、そこで楽しみを見つけ出したり、経験したことを自分の財産と思えるような強さを身につけてきた。
引っ越しするたびに適応能力は高くなってきたはず。
その代わりに、自分で流れをつくることからかなり遠ざかってしまったなと感じる。
どうやら、流されるままに生きてきたので、自分の力で漕ぎ出せなくなってしまったみたいなんです。
小学校高学年ころにはどこかに落ち着いたほうがいいんじゃないか、って漠然と考えてきた我が家。
だけど、どこの土地に?いつ?どんな方法で??
まだ何も決められていない。
この春、娘が小学生になる。
いよいよ、この問題にほんとうに向き合わないといけないな、とちょっと焦りを感じています。
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