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建築設計における「天才」とは?

先日こちらの記事がtwitterのタイムラインに流れてきて読んでいたのですが、とても面白かったです。

内容に関してはリンク先を読んでいただければと思うのですが、ぼくが専門としている建築設計の分野で「天才」というのは誰なんだろう?そしてどういう存在なんだろう?と車を運転しながらぼんやりと考えていました。

でも、天才とか才能という言葉って、個人的にはあまり好きな言葉ではなくて、その言葉を使用した瞬間に思考停止しているような感覚に陥ってしまうし、学生時代に後輩の建築家を分析したレポート発表を聞いている中で、「○○の才能がある」というフレーズが合って、ああ、分析の中で才能でかたずけては駄目だー。って強く思ったことを覚えています。

ぼくは、論文に関しては、かじった程度なので、偉そうなことは言えませんが、作家研究であるならば、出来る限り再現性のある手法や仕組みを取り出すことが、その建築家を分析していくことが研究だと思っていたので、その姿勢で言うならば、天才など存在せず、全てを理詰めで解き明かしていく、とい姿勢がないと、学ぶ事など出来ないと思っています。

とはいえ、何十年も生きていると、「ああ天才だ!」としか思えない人たちに出会うこともあるわけでして、その瞬間は上記のように常日頃考えていたことも吹っ飛んでしまう訳です(笑)。

で、そのような天才だー!ってぼくが思った建築家たちに特徴があるのかな、と考えて思ったのは、「寡作であるにも関わらずめちゃくちゃ凄い作品をつくれる人」です。

最初のリンク先の中でヒャダインさんは逆のことを言っていたような記憶があるのですが、ぼく個人の建築における天才の条件は上記になるのかなと。。

というのは、ぼくがこれまで色々な建築家の作品や、建築家の活動を継続的に見続けてきて確信したことがあるんです。これは、弊書籍でもちらっと書きましたが、「建築家は建て続けることでどんどん進化していく」ということです。

その理由として想像できるのは、建築物を建てるということは、そのスケールにも起因していると思うのですが、人間の想像の範疇を越えたクリエーションだからだと思います。だから、実際に立ててみないと、自分のアイデアが思い通りに実現できるか分からない。建築設計というものがそういうクリエーションだとすると、実際に建てることで、その想像と現実を埋めていかなければ思ったものは建てられないはずだと思っています。
そのためには、実際に建物を建て続けていく。という行為が建築家を成長させ、その建築も進化していくのだと思っています。

ぼくは、『建築家のためのウェブ発信講義』で、建築家が仕事を獲得するという視点でも色々と書きましたが、その背景にあるのは、上に書いたことです。つまり、建築家に多くの仕事を獲得して、色々な経験をしてほしいという願いからなのです。生きていくために、という視点もありますが、建築を発展させ続けるためにも、仕事を獲得し続けるというのは非常に重要だと考えています。

話が若干それてしまいました。

ぼくは、建築を建てることで建築家が成長し、建築作品も進化すると考えていますので(実際に継続的に見ていると作品を数多く作っていく方はどんどん作品が進化して言っています)、
その逆に、作品を数年に一回程度しか発表しないのに、なんだこれは!という作品を発表する人に出会うと、「ああ、天才だ!」と思ってしまいます

通常の人が実際に建てるという行為の経験の積み重ねた結果、実現したものを、完全に、想像の中で組み立て素晴らしいものをつくってしまう人たちがいます。こういう人たちに出会うと、ぼくは、「この建築家は天才だ!」と思って思考停止してしまいます(笑)。

もちろん、それぞれの人によって定義はそれぞれだと思いますが、ぼくが今考える天才と言える建築家の定義はこれかな、と思ったので書いてみました。

有料部分には、最近この人は天才だ!とぼくが、上記定義に沿って感じた人をご紹介してみます。


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