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『死と死刑』(全3回) 第2回「死刑存置を訴える意見」

死刑のない国。きれいな響きである。国家が人権を最大限に守っている印象を強く与える。


本当にそうだろうか。


死刑を問題にするとき、犯罪の類型としてしばしば挙げられるのは殺人罪であるが、最高刑が死刑に当たる罪は他にもある。例えば、強盗強制性交等致死罪(強盗が現場において強制性交に及び、被害者を死に至らしめる罪)も含まれるのである。被害者の立場になってみれば、金品は強奪され、身体を蹂躙され、命を奪われるということになる。それにも関わらず、死刑のない世界では、加害者はしばらく刑務所で働けば外に出てくることができる。被害者は加害者に人権を好き勝手に侵害される一方で、加害者は国から最低限以上の生活を保障されるということだ。本当にそれでよいのか。

また、死刑が最高刑とされている現在の日本において、単にその刑を廃止したらどうなるかということも慎重に考えなければならない。現行の制度においては、死刑をなくせば最高刑は無期懲役となる。端的に言えば、法定刑が軽くなってしまうのだ。死刑の代替刑を設けない限り、死刑を廃止することはできまい。有期懲役と同様に仮釈放のある無期懲役よりも重い刑とすれば、仮釈放のない無期懲役(終身刑)となろうが、それこそ収容者の生殺しであり、人権保護とは正反対の方向である。むしろ、痛みなく人生を終えることのできる死刑の方が優しいとも言えるかもしれない(絞首刑では受刑者は窒息死ではなく、脊髄断裂により即死する)。


更に、再犯の恐怖が拭えない。現在、死刑の適用可否を考慮する際に言及されることのある永山基準では、再犯を一要素として示唆する。すなわち、一度刑(ほぼ懲役刑であろう)を受けたにも関わらず、再び重罪を犯す者がいるのである。それは、懲役刑への認識の軽さを裏返しているといえよう。何度人を殺しても、自分自身が死刑にならず懲役刑で済むと確信されれば、再犯の可能性が高まると考えている。初犯と再犯の大きな違いがここにはある。懲役刑を受けたからこそ、その状況への恐れがなくなってしまうということはないだろうか。


死刑に処すのではなく、遺族への補償をさせるべきだ、という意見もある。補償とは、およそ金銭的補償を指すであろう。ひとの命は、お金で買うことはできない。たとえば自分の子供を殺した犯人から、毎月のように百万円が贈られてきたところで、なんの慰めになろうか。


したがって、死刑は存置すべきである。

(文字数:1000字)

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