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『死と死刑』(全3回) 第1回「死刑廃止を訴える意見」

日本には、犯した罪の償いとして、その罪の重さに従って以下の刑が用意されている。経済的な負担を求める科料刑と罰金刑。身体の自由を制限する拘留刑・禁固刑・懲役刑。そして生命を奪う死刑である。こうして並べてみると、死刑だけが異質に思えてくる。国家の手によってこの世から存在そのものを消されてしまうのである。

まして、裁判で認められてしまったその罪が、実は冤罪であったらどうだろう。刑を受けるべき真犯人は安穏と暮らし、無関係の人が死刑に処せられてしまったら、取り返しはつくまい。一度消えてしまった命の灯火が、再び灯ることはないのである。そして現に、冤罪事件はこれまでに存在してきたし、今後根絶されるとは到底言えない。その中で、真相が解明される前に死刑が執行される可能性があることの危うさをしっかりと認識すべきだろう。

また、日本国憲法第36条が公務員による「残虐な刑罰」を禁止していることにも注目が必要だ。火炙りや磔の刑については「残虐」とされ、現行の死刑執行方法の絞首は異なるとされる。ひとの生命を奪う方法に、残虐か否かという観点が問題になるだろうか。いわば否応なく殺されてしまうのだから、全て残虐とも考えられるのだ。その証拠に、広く知られているように、死刑執行の操作は複数人で行われるのである。ひとの命を奪うということは、それほどの重さを持っている。

また、国際的には死刑廃止への潮流が日々大きくなってきている。国際人権規約(自由権規約)の第6条は死刑廃止を強く示唆する内容であるし、死刑を既に過去のものとしている国は多い。欧州連合に加盟する際の条件であるコペンハーゲン基準も、死刑の存在を否定している。

そもそも、死刑は再び元の世界に戻ることを許さない性質を持つ。「解放してしまったらまた罪を犯すだろう」という予断によって宣告されると言ってもよい。罪を犯した者に更正の余地を認めない刑罰とも捉えることもできよう。ひとがひとを裁くという局面において、そのような決めつけが必ずしも適切と言えるだろうか。

また、死刑が及ぼす副作用もある。近年見られるようになった「死刑になりたくて人を殺した」という犯行だ。死刑が自殺の手段になってしまっては、刑罰の意味がない。死刑が新たな犯罪を誘発しているとも言えるのである。


以上を踏まえれば、死刑廃止は妥当な結論であることは自明だ。


明日は、翻って死刑存置の立場で筆を執ることとする。

(文字数:1000字)

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