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あの夏を取り戻せプロジェクトを始めた理由とは?(大会発起人 大武優斗インタビュー)

かっこよくなりたくて始めた野球

――野球を始めたきっかけについて教えてください
 父がかつて高校球児で甲子園を目指していて、その後草野球チームで父が活躍している姿を小さい頃から見ていて、かっこいいなと思っていました。そして自分も父みたいに野球をやって、かっこいい大人になりたいと思い小学1年生から地元のチームで野球を始めました。

――高校を決めたきっかけはありますか?
 僕が所属していた中学のシニアのチームが結構強いところで、全国大会は基本的に出場しているようなチームでした。そんなチームに所属していてレベルが高いというか、「僕にはこいつらには勝てないな」と思う選手がたくさんいました。そこで自分が試合に出られるようなチームで、なおかつ甲子園も狙えるようなチームがいいのではないかということで城西高校に入学しました。

甲子園があったから辛いことも乗り越えられた

――ここからは高校に入学してからのお話に移っていきたいと思います。甲子園を目指していたときの思いや練習への姿勢について教えてください
 プロ野球選手にはなれないと中学校のレベルや色々な選手を見て思ってはいたんですが、まだ甲子園だったら目指せるんじゃないかという思いで高校野球をやっていました。
 僕たちは午前中だけ授業で午後が部活といういわゆるスポーツクラスというところに所属していたので、本当に野球のために高校に行くような生活をしていました。僕たちの同世代のチームメイトは同じように甲子園を目指す中で、長い時間練習を共にし、それなりに厳しい練習もしていたので、甲子園が自分たちのチームでも大きなモチベーションとなっていたと感じます。

――甲子園を目指していく中で、印象的なエピソードはありましたか?
 どのチームも同じだと思いますが、冬のトレーニングがめちゃくちゃキツかったです。その冬のトレーニングはとても辛い事ではありますが、それも全部甲子園に立つためというモチベーションでやっていました。甲子園という場所があったからこそ冬のトレーニングを乗り越えられたのではないかと思います。

代替大会のやる意味を感じられなかった

――甲子園中止の第一報を知った時はどういった感情でしたか?
 発表の前から甲子園がなくなりそうというニュースは世間でも流れていましたが、実際に中止となってこれほど大きな大会がなくなるなんて思ってもみなかったです。5月20日に甲子園中止のニュースが流れましたが、正直信じ切れていない自分がいました。

――そんな中で代替大会の開催が発表されましたが、発表を聞いたときはどんな心境でしたか?
 正直なところ、甲子園もないのにやる意味があるのかと思っていました。ただ感染が拡大しコロナがどんな病気かも分からないという状況の中で、各都道府県の高野連の方々がこういった大会を開いていただいたことに関してはとても感謝しています。僕たちとしても、こういった独自大会がないまま終わっていたら本当にやり切れずに終わっていた部分があると思うので、独自大会が開催されたことは嬉しく思っています。

最後のミーティングで溢れ出た涙

――そんな独自大会で印象に残っていることはありますか?
 僕は高校時代膝をケガしていて、高校2年生の秋まで試合に出られませんでした。冬のトレーニングが始まる頃に膝が治り、春の大会前にスタメンに復帰しました。しかし春の大会は中止となり、更に甲子園が中止となったことでモチベーションもそのタイミングでなくなってしまいました。
 そこで練習をしなくなってしまい、独自大会も出場機会こそあったもののスタメンというわけではなく、自分の高校野球人生を振り返るとちゃんとした大会に出られずに終わってしまいました。そのことが印象に残っています。

――代替大会では4回戦で東亜学園に1-6で敗れてしまいましたが、夏が終わった瞬間はどういった心境でしたか?
 試合が終わってからも泣くことすらできず、「やっと終わったんだ」という感情よりは「あぁ、終わっちゃった……」や「こんな感じですぐ終わっちゃうんだ」という感情がありました。

――敗戦の後に最後のミーティングがあったと思いますが、そこで印象に残っていることはありますか?
 3年生が後輩たちに向けて1人1人話していくのですが、そこで自分が号泣してしまいました。今までの人生であんなに泣いたことはないと思います。多分やり切れない思いであったり、独自大会に向かっていく中でなぜ自分はちゃんと野球をしなかったのだろうという後悔、コロナで甲子園が失われたことへの悔しさがあったからだと思います。
 引退してからやっと辛さや後悔が分かるから、自分のような後悔をしないでほしいという内容を後輩たちに伝えました。

――春の選抜出場校が夏に1試合だけ甲子園交流試合という形で試合をしていましたが、その光景をテレビなどで見ていて感じたことはありましたか?
 試合ができるのなら、夏の甲子園もできたんじゃないかということは思っていました。
 交流試合から少し離れますが、1年後に1個下の代の夏の甲子園が開催され、その当時は2020年よりもコロナの感染率は高かったと思います。そんな中で大会をやっていて羨ましいという部分もありましたが、それよりも自分たちが味わった悔しさややり切れない気持ちを後輩たちが味わうことがなくて良かった、戦後初の甲子園中止が1年だけで済んで良かったと思っています。

社会を変えるために選んだ進学先

――現在大武さんは武蔵野大学アントレプレナーシップ学部に所属されていますが、学部の1期生ということで新設の学部に行こうと思った理由について教えてください
 甲子園が中止となった時も僕たちは何も言うことができなかったし、上の方々の意見だけで甲子園中止になったという現状があり、そのことにとても悔しく感じていました。若者が何か声を上げることも許されないし、声を上げてもその意見はきっと捨てられるだろうと思いました。
 そんな社会がすごく嫌で、そういうところを変えるには社会的に何かインパクトを残したり、会社を作ったりということを若者がしないとこの世の中は変わらないのではないかと思いました。そこで、社会にインパクトを残している起業家のもとで学ぶことが社会を変えられる第一歩になるのではないかと思い、アントレプレナーシップ学部への入学を決意しました。

――大武さんは学部の中で最も早く起業されましたが、その経験がこのプロジェクトで活きていると感じるときはありますか?
 起業してから半年間事業を行っていたときはメンバーが6人いて、自分は他の5人に仕事を振る側でした。半年経ったときに仕事を振られた側の人は色々な成長があったのですが、自分は仕事を振っているだけだったから、成長できたか振り返った時に何も成長できていないと感じました。
 だからこのプロジェクトを始めた時はメディアに電話したり、Twitterを動かしたり、色々な人に営業したりということを1人で行いました。そして全部できるようになってからメンバーを募集したいと思い、実際にできるようになってメンバーを募集しました。
 そういう意味では起業して半年間事業を行った経験が活かされていると感じます。

最初は1人のプロジェクトが次第に大きく

――この「あの夏を取り戻せ」というプロジェクトをやりたいと考えだしたのはいつ頃ですか?
 このプロジェクトを始めたのは8月の頭なのですが、考え出したのは6月の後半だったと思います。自分の事業を一旦ストップさせたときに、自分にしかできなくて自分がやる必要があることがあるのかと考えた時に、人生の半分以上やってきた野球のことが頭に浮かびました。
 そんな野球で何かできることはないかと考えた時に、やはり戦後初の甲子園中止に対して発表から2年経ってもやり切れない思いがありました。そんな思いを持っている当時高校3年生だった選手は多分たくさんいると思い、このプロジェクトを始めました。

――最初に運営を手伝いたいというメンバーが加わった時のことは覚えていますか?
 ボランティアメンバーを募集していたわけではないタイミングで連絡をくれたからとても嬉しかったです。最初に加わったメンバーは自分と同じ当時の高校3年生でしかも独自大会で優勝している選手だったから、そんな選手が同じような気持ちを抱いて手伝ってくれるということに感動しました。
 自分たちの代であった戦後初の中止となった甲子園を取り戻すなら同世代でやりたいという気持ちがあったので、そういう中で最初に同世代の選手が連絡してきてくれたことがやはり嬉しかったです。

――そんなスタートから今や運営のメンバーは20人を超える状況となりましたが、そのことについてはどうですか?
 ボランティアの募集を始めてから色々な方々から連絡をいただけるようになりましたし、それだけ同じような思いをして悔しいと思っている人がこんなにもいるということを実感し、やはりこのプロジェクトをやってよかったと思いました。ボランティアをさせてほしいと言ってくれる人たちが20人以上いてそれなりに大きな規模になったこのプロジェクトを自分一人でやるというよりは、皆でプロジェクト成功に向けて戦っていけたらなと思います。

――続いては参加チームについて伺いたいと思います。最初に参加エントリーがあった時のことは覚えていますか?
 最初のエントリーは香川県の尽誠学園でした。
 最初はただの大学生がこんなに大きなプロジェクトをやるということで、色々な大人の方々に「いや、無理でしょ」とか「変に期待させるなよ」ということを言われていました。多分当時の選手からしても「本当にこんな大会できるのかな?」とか「大丈夫かな?」といった不安の声は絶対にあったと思います。
 そんな中で最初に尽誠学園が参加を表明してくれて色々な高校に声を掛けてくれました。自分が何かしたというよりは、このプロジェクトに参加してくださるチームの方々が他のチームに声を掛けてくれて多くのチームが集まった状況なので、皆の力のお陰でチームが集まることができました。

――最終的に3県の辞退はあったものの、46チームの参加が確定した瞬間はどういった心境でしたか?
 46チームも集まるとは思っていなかったので、素直に嬉しかったです。各都道府県の元高校球児が同じ思いをしていたことに「やはりそうなんだな」と思いましたし、このプロジェクトの意義がすごくあるのではないかと思いました。何者でもない大学2年生のこのようなプロジェクトに1000名を超える選手の方々が一緒にやると言ってくれて、絶対にプロジェクトを達成させなければという思いが強くなりました。

新たなステップへと進むためのプロジェクトに

――発起人としての今後の目標について教えてください
 1個目がこのプロジェクトを成功させることで、自分自身も当時の選手も抱えているやり切れていないという思いを2,3年越しに晴らして、次のステップへ踏み出せるようなきっかけ作りができればと思っています。
 2個目が僕みたいに高校まで野球をやっていて大学生から何か始めたいということで、同じように挑戦したいと思っているけどできないんじゃないかと思っている若者がいると思います。しかし高校まで野球しかやってこなかった僕でもできたから、色々な若者に夢を語ってほしいと思いますし、「大武優斗ができたんだから、俺でもできるんじゃないか」というような勇気や希望を与えられるプロジェクトになればと思っています。

――それではこのプロジェクトに参加してくれる約1000名の選手に対してメッセージをお願いします
 まず僕のプロジェクトに参加してくれたり、応援してくれたりしてありがとうございます。このプロジェクトを達成することにすごく意義を感じていますし、僕自身も元高校球児で2年前すごく悔しい思いを吸たので、それをやっとこのプロジェクトを通じて消化して新しいステップに踏み出したいと思っています。
 時期や内容は当時の選手と話し合いながら決めていきますが、このプロジェクトを成功させるためには皆さんの協力が必要なので、今後とも協力よろしくお願いします。

――最後に応援してくださってる方々へメッセージをお願いします
 僕たちのこのプロジェクトのTwitter及び様々なSNSをフォローして下さっている方々、いつも応援のメッセージありがとうございます。僕自身も色々な方々に応援していただいて日々モチベーションが上がっていますし、来年の11月までという長い期間になりますがこれからも応援してくださると嬉しいです。
 今後クラウドファンディングなどを実施する際に色々な方々にこのプロジェクトを知っていただくためにも、拡散というものが必要だと思っています。いいねやリツイートなどボタン1つでできることだと思うので、ぜひ協力していただけると嬉しいです。
 このプロジェクトを絶対成功させます!


 次回からは各高校の代表者インタビューの模様をお届けします。
 毎週月曜日と木曜日の夕方に投稿予定なので、是非noteのフォローもよろしくお願いします。

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