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取材することは慣れていても、取材されることには慣れていなかった。

この仕事をしていると、いろんな人を取材して、取材をして文章を書くことにはいつしか慣れていく。一方で、自分が取材を受けることはほとんどなく、取材の結果が記事や映像として世に出回ることには慣れていない。

そんな典型的な職業記者だったが、昨年はとある自分の家族に関する話が大きな話題となってしまい、いくつかの取材を受け、寄稿依頼にも応じた。その中には海外メディアも含まれていた。この件で自分自身が目立ちたいという気はまったくなく、家族の名誉に関することなので、正確に報じてほしいという思いで受けたものもあり、断ったものもあった。

恥ずかしながら、その中で「取材を受ける側」の心境を改めて気づくことが多かった。そのことを整理しておきたい。

テレビ出演の方が安心だった

いわゆる「取材」は、某全国ネットのテレビ番組と、海外の新聞社からのものを受けた。日本の某新聞社のネットオリジナル記事も依頼があったのだが断った(これについては後述)。他人の意図が介在する記事や番組のインタビューを受けた経験はほとんどなかった。OA(公開)前の本人チェックもなく、不安な日々だった。

どちらがより安心できたかと言えば、やはりテレビの方だった。理由はなんと言っても、自分の肉声がそのまま電波に乗ったことが大きい。1時間ほどインタビューを受けて、使われたのは15分ほど。取捨選択はディレクターがしたのだろうけど、それでも使われた部分に関しては、自分の責任で喋ったことが100%反映されたと言える。

(余談だが、10年ほど前に北朝鮮に取材に行ったとき、向こうの外務省関係者から、海外取材の受け入れがテレビ重視である理由の説明を受けたことを思い出した。「テレビは切り取られても映像に噓はない。新聞はどうしても記者の主観が介在するから信用できない」旨の話で、当時は新聞側にいたので反発も覚えたのだが、改めて自分が取材を受ける側になってみると腑に落ちる部分も多い)

ものすごく当たり前だが、どんな記事や番組でも取材する記者(ディレクター)がいる。取材を受ける側が100%思い通りになることなどなく、取材する側のの意図なり解釈が介在して、初めて世の中に流通する。

新聞(インターネットメディア含む)などのテキストメディアは、自分が話したこととして「」内の文字を書くのも記者だから、自分の言葉も記者の意図や解釈のフィルターを通すことになる。地の文に「」が混在していくストーリー仕立てなら、記者が考えたストーリーの中に自分の言葉が組み込まれることが多くなる。できるだけ正確に伝えたつもりでも、インタビュイーから「こんなつもりで言っていない」「私はこんな言い方はしない」とトラブルになりがちなのは、そのフィルターがインタビュイーとずれていたからだ。

特に今回は海外メディアだったので、日本社会に住む者同士なら当然知っていて前提になるような常識や背景知識も通用しないし、取材する側とされる側で当然交わされるべき約束もなし崩しになる。細かいニュアンスの違いとなると、違う言語なので自分でコントロールすることは難しい。ネットで公開された記事を見て、「」で引用された自分の言葉が、間違っていないはずなのに、どこか自分の言葉でないように感じられるのは、解釈に加え、言語という二重のフィルターが通っているからだろう。

ただ、互いに違う人間である以上、フィルターがインタビュイーと100%一致することなどありえず、100%一致することが常にいいわけでもない。インタビュイーの思考を整理してまとめるのも記者の仕事だし、当初は思惑と違っていたと思われても、時間が経って結果的によい記事と認められることもある。インタビューの音声をAIが自動で文字起こししてくれる今の時代、人間が取材する意味は失われていないのだと信じて、自分の良心に従って、ChatGPTの文字起こし要約にはできない、自分にしか書けない文章を書き続けていくしかない。

余談

ところで余談として、取材を断った2件は、取材対応として気になった点があった。あくまで今回は家族に関わる話だったので、自分自身がメインのインタビューを断ったところ「読まれると思ったんですが」というお返事が来た。この返事自体を特に失礼とは思わなかったけど、私自身は別にこの件を広く世の中に宣伝したいわけではなかった。PV至上主義は必ずしもインタビュイーとの共通認識にはならない。

むしろ恐ろしかったのは、先に紹介した海外メディアの記事を「翻訳して紹介したいのであなたの写真を送って下さい」と、ある翻訳メディアから頼まれたこと。「写真はアイキャッチとして使用したい」と書き添えられていた。「アイキャッチ」とは要するに、目立たせて読者の目を引くための視覚的な素材を指す業界用語だ。「あなたの記事を目立たせてあげるんだから写真をよこしなさい」という、編集者の隠れた意図を感じ取った。そういう業界用語を相手に(メディア関係者とはいえ)深く考えずに投げてしまうと、腹の内が浮き彫りになってしまうことがある。

そもそも意図が伝わりにくいことを痛感した海外メディアの取材記事を、母語に重訳したらますます自分の考えとかけ離れてしまう恐れがある(しかも今回は自分が日本語で発表したある文章がもとになっている)。そんな恐ろしい文章に自分の写真を提供したら、その記事にお墨付きを与えたことになってしまうので「直接取材を受けるのでなければ写真提供は応じかねます」と返事したら、それっきり返事は来なかった。


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