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【いいね】の軸は、自分で決める

先日、プロレスラーの林下詩美(スターダム)が、Twitterでこのような内容を投稿した。


確かに、プロレスラーに反応していただける事は嬉しい出来事だけれども、「"いいね"を貰いたい為に応援する」というのは、目的を違えているようにも感じる。

私自身、「自分が"いいね"と思った人だから応援する」という感覚があるから。

今の林下詩美は、入場シーンも含めてトップオブトップの存在。
ファンが、たかが【いいね】の有無だけで離れてしまうのは勿体ない。

前述の件も含めて、最近私はこんなことを考えるようになった。

「いいね」を他人の存在に依存しすぎるのも良くないんじゃないか、と。
そして、他人からの「いいね」欲しさに、なりふり構わない事例も見苦しいんじゃないか、とも。

極論になってしまうが、「いいね」の存在は、時として人を狂わせる程の魔力を秘めていると私は思うのだ。

以下の文章は、個人的な自戒も込めて…。

レビュー数稼ぎで生まれるデマ

Blogやnote、YouTube、ポッドキャスト、Twitterのスペースなど、現代は一ファンが各媒体を通じて発信出来る時代だ。

専門誌以上に深掘りされた情報をファンが提供しているケースも少なくない。
専門誌を購読していない私でも、Twitter上のタイムラインで何が起きたかを把握できるくらい、ファン発信の情報量は多く溢れている。

一方、そうした一ファンの発信には、マスメディアのような責任なんて無い。

責任が無い分、レビュー数を稼ぎたいがために強い言葉や嘘を用いる事例もある。
そこに、ファクトチェックという文字や概念はない。

例えば、所属ユニットの追放から、「○○(選手名)、退団か?」と見出しを付けて煽るブロガーだったり、選手のツイートから「解雇か?」と煽るYouTuberだったり…。

所謂"中の人"でもマスメディアでもないから、ゴシップ誌とスタンスが大差ない。
それでいて、責任がないから繰り返す。

自らがリーダーを務めたユニットを追放された事で、
「DRAGON GATE退団か?」と某ブロガーに書かれていたEita。
こういうデマは良くない(白目)。


個人的に、ファンは責任のない立場だからこそ、「実際に自分が体験した内容」や「自分の願望や妄想」以上の内容には踏み込めない気がしている。

あくまでも、ファンは外野でしかないのだから。

プロレス写真を通じて考えさせられた、過度な「いいね」の求め方

私は2018年頃から、プロレス会場にカメラを持って行き、選手の写真を撮るようになった。

プロレスファン界隈には、関係者から反応を貰えるくらい、綺麗な写真を撮る方が数多く存在している。

男女やメジャー・インディーといった団体の差こそあれ、個人的には、高校野球強豪校の18人に選ばれるかどうかくらい、【有名プロレスカメラファン】というポジションは狭き門だと実感している。
(そして私は、その苛烈な枠には一生かけても入れない、とも感じている)


一方、会場で写真を撮る中で、違和感を覚えた出来事もある。

写真で有名なファンの方であっても、中には自分の購入した指定席から空席の方に動いて撮影したり、週刊プロレスのツイートに「僕の写真の方がキレイなので採用してくれませんか?」と引用リツイートしたり、なんて事例を過去に目撃した事があった。

その時、私は考えさせられたのだ。

「そうまでして、自分の写真を見てもらいたいのか?」と。

人から「いいね」と思われたい気持ちがあまりに行き過ぎてしまう結果、ルール違反やクソリプに近い言動を見てしまった事で、未だそうした違和感は拭えないでいる。

もしも、【良い絵を撮る】事だけが絶対になるのだとしたら、行き着く先は『撮り鉄』のような未来になってしまうのではないか。

自分達の応援するコンテンツの世間的立ち位置すらも脅かし、毀損する存在に…。

食事写真を通じて捨てた、「いいね」への過度な執着

どのツイートが他人から「いいね」と思われるかなんて、投稿した本人にも分からない。

私がその事を実感させられたのは、食事や酒の写真だった。


私自身、カメラで撮影したプロレス写真よりも、スマートフォンで撮影した食事の写真の方が伸びる現実に、最初は戸惑いを隠せないでいた。

プロレス写真の方が他人からのウケを意識していたのに、と…(苦笑)。


でも、今ではそんな私の傾向も大好きだと言える心境に至った。

一概にプロレスが好きと言っても、各人の好みに差はあるものだ。
全員が全員、業界最大手のWWEや新日本プロレスが好きだとは限らない。

けれど、食べ物や飲み物といった話題は、(好みの差こそあれ、)興味関心の範囲はプロレスより広いし、ポピュラーだという実感がある。

私にとって、「飲食のほうがプロレスより写真の反応をいただける」という事実は、「プロレス写真で反応が欲しい」という欲求に対する適度な抑止力となっている。

「いいね」が欲しいだけなら、プロレスの写真なんてとうに止めて、食事に特化しているはずだから(笑)。


それでも私がプロレスの写真を撮っているのは、単純に好きだからなんだと思っている。
そうでなければ、根気良く続けていない。


まとめ〜誰に「いいね」と思うかは、自分で決める〜

「いまを信じて?明日に輝け?誰を信じるかは自分で決めろ、Bow down to the queens!」

先述した林下詩美がリーダーを務めるユニット・Queens Questの決め台詞である。

「誰を信じるかは自分で決めろ」ではないけれど、「いいね」と思う基準は自分で決めた方が良い。
他人に自らの「いいね」の基準を委ねてしまうと、反応が貰えなかった時の反動も凄い。

SNS全盛の現代で、選手関係者との距離は良くも悪くも近くなりすぎた感がある。
そもそも、写真を使っていただける事自体が、大変有り難い事なのだから…。


自分が「いいね」と思ったものを上げて、それに共感してくださる方が現れる。
そういうスタンスの方が、自己顕示欲も程々に抑制できるし、何より相手との距離感を見誤る事も無い。

私が写真を撮るようになった動機は、「スマホ用の壁紙が欲しい」からだった。
この動機は、今でも忘れないようにしたい。

自分が【いいね】と思ったものを上げる。
このスタンスは忘れないでいたいと思う私なのでした。
(気をつけねばですね…)


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