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拍手を褒められて救われた話


はじめに

「わあ、大きい拍手してくれてる!」

先日、市ヶ谷にある小さな会場でプロレス観戦をしていた時に、ある選手の方から直接言われた言葉だ。


私は声をかけられた時、驚きを隠せずにいた。
個人的に、会場で拍手は出してナンボのもので、ある種当然の事だと思っていたから。


大会後、懇親会のようなものに参加させていただく機会があり、その選手の方とお話する機会もあったのだけど、「凄く大きい拍手をしてくれるのが嬉しかった」と改めて言われた。

そんな風に言われる事なんて、多分初めての事だったように思う。
私自身、大きな拍手を鳴らす事に対して、抵抗とか恐怖の感情もあったからだ…。


声を出すタイプではないからこそ…

私は、声を出して応援するようなタイプのファンではない。

声を出すことに対して気恥ずかしい思いがあるから声が出せていなかったり、色々な団体で色々好きな選手がいる状況だから「あっち立てばこっち立たず」だったり、どうしても試合を見る方向になるので声が出なかったり、原因は幾つかある。

正直なところ、新型コロナウイルス禍で声出し応援が禁じられていた時期は"声を出さなくても良い雰囲気"が非常に有り難かったし、極端に言ってしまうと「声出し応援が再開されない状況でも個人的には問題ない。」とさえ当時の私は思っていた。
小規模会場を中心に声を出すようになった今となっては、非常に考えられない話ではあるのだが…。


ただ、「声を出さない分、拍手だけは大きな音を出して頑張ろう」とは思っていたので、コロナ禍以降のプロレス観戦では強めに拍手を鳴らすよう心がけていた結果、いつしか私の拍手の音は強くなっていった。
強すぎる分、出血してしまうのは問題だけれども(笑)


その一方で、私が大きな拍手を鳴らしていると、自分の腹の手前に来る高さで叩いていたにもかかわらず、隣に座っていた人から耳を押さえられたり席を移動されてしまったり事も生観戦中に何度かあった。
そういう経験もあり、大きい拍手をする事に対して引け目や躊躇を感じてしまうようにもなっていた。

ふとした時に、そんな内容を他の人に相談したら「気にすることないよ!」と言ってもらえたのだけど、それでも耳を押さえられてしまう仕草に身構えてしまった事実は消えない訳で、どこかで引きずっていた所はある。


だからこそ、先述したように直接選手の方からお褒めの言葉を頂いた時は、驚き以上に大きい拍手を認めてもらえた事の嬉しさが圧倒的に大きかった。
「ああ、大きい拍手で良かったんだ」みたいな。

何気ない一言で、救われる人はいる。


まとめ

極端な話にはなってしまうけれど、もしも「大きい拍手が嬉しかった」なんて直接誰かに言われなかったら、過去の実体験から大きい拍手を鳴らすことを控えてしまったかもしれない。

何気ないタイミングの一言ではあったけれど、決して大げさな話ではなく、あの一言があったから救われたり自信を持てたりした私がいる。


そして、プロレス会場で良いシーンがあったり、何か凄いことがあったりした時には迷わず大きな拍手で応えたいと私は思った。
それは決して「誰かに承認されたい」拍手ではなく、「誰かに対する称賛」としての拍手でありたい。


拍手のしすぎと乾燥で、掌が出血する事態は流石に避けないといけないけれど…。


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