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"節目の年"について考えた事

はじめに

「25歳か…。丁度自分が相撲を辞めてプロレスラーを目指したのがそのくらいだったから、人生で節目の歳やったなあ。」

それは、2017年初頭の事だった。

プロレスがキッカケでTwitterを始めたばかりの私は、プロレスバーが新宿にあることを知り、新宿ゴールデン街にある酒場へ足を運ぶようになっていた。

訪れて2〜3回目の夜、たまたま大会の営業で訪れていたプロレスラーの方とお話させていただく機会に恵まれた。

「年齢はお幾つですか?」と訊かれ、当時の年齢(25歳)を答えた時に返されたのが上述の言葉である。

そのレスラーの方の言葉を聞いて以降、私は人生の中で、自然と”節目”について意識しだすようになった。

当時、私は社会人生活3年目を迎え、中々思うようなキャリアプランを描けていないもどかしさだとか悩みとかも、もしかしたら意識する理由だったのかもしれない。

でも、このタイミングで「25歳前後で新しい事にチャレンジした方がいる」という体験を聞けた事は、私自身前向きに何かを頑張ろうと思えるキッカケとなった。

この時抱いた感情は、今でもハッキリと覚えている。


節目について考えさせられる事

節目の年齢は、人それぞれ異なってくるだろう。

私の中で最近訪れた節目がある。
それは、2022年4月に30歳を迎えた事だ。

2009年に突如この世を去った推しバンドのボーカルの年齢を、私は遂に超えてしまった。
(フジファブリックの志村正彦)


「生きるビジョンが皆無のまま、30という年齢まで生きてしまった」という実感が私の中にある。
過去に希死念慮を抱いた事もあってなのか、自分自身が30歳まで生きている姿を、まるで想像することもできなかった。

2021年に人生初の転職を経験して以降、新しい環境に慣れる事で精一杯な毎日。
20代後半になってから、資格取得などにも積極的に取り組む時期はあったけれど、今現在の自分自身の歩みが遅く感じられる事に対して少なからず不安もある。

しかし、最近になって、私と同学年のレスラーが引退したり、復帰したり、自主興行開催に動くニュースを見聞きするようになった。



そのニュースを見ていて、感じたことがある。

それは、生きているだけで精一杯な毎日の中でも、少しずつ、新しい事にチャレンジしていきたいという刺激だ。

彼や彼女たちのニュースを見ていて湧き上がる衝動。
「この年齢で新しい事にチャレンジした方がいる」という励みのような思い。

先に上げた25歳という年齢を前に、新たな道へ進む事を決めたレスラーもいる。
アイスリボンの春輝つくしは、シングルチャンピオンを保持したまま、2022.5.4に現役を引退した。

最強のまま引退する姿に惜しい気持ちはありつつも、プロレスから新たな道に進む彼女もまた、節目の年を迎えたのだろうな、と考えたり…。

そういう人の節目を見た時に、「苦手でもいいから、新しい事にチャレンジしてみなくては…」という思いに駆られた私がいる。
英会話だとか、運動だとか、読書だとかとか、何が良いのかは見当もついていないけれど(苦笑)

まとめ

私にとって、25歳は人生の節目のような1年だったと思う。

2017年にTwitterを始めて以降、SNSを通じて、それまで接点のなかった様々な方とやり取りさせていただく機会が増えた。
コミュニケーションが壊滅的に下手な私が、そのような機会に恵まれたのは、本当に周囲の方々のおかげとしか言いようがない。

人生の先輩方とお話させていただく中で、考えや価値観が磨かれる事も多かった。
25歳という1年が無ければ、きっと今の私に繋がることは無かったと確信している。


先日、私は両国国技館でプロレスを観戦してきた。
(2022.4.30 プロレスリング・ノア)

2017年の酒場で私が節目を意識するキッカケとなったレスラーは、2022年に相撲の聖地で年齢を感じさせない試合を見せていた。

幾つになっても変わらない、彼の凄さに圧倒される私。

もしかしたら、節目のような年なんて、あるようでないのかも知れない。
何かを始めた時が、いつだって節目になり得るのだから…。


そんな事を考えた、私の今日この頃です。
(新しいことにチャレンジしよう…)

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