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私のプロレス遠征は、『N-1 VICTORY』が教えてくれた。

はじめに〜プロレス遠征のキッカケについて〜

私がプロレスを観に地方遠征するようになったのは、プロレスリング・ノアがキッカケだった。

季節は、ヘビー級のシングルリーグが『GLOBAL LEAGUE』から『N-1 VICTORY(以下:N-1)』へと改称された、2019年秋。
この年の『N-1』優勝決定戦の舞台は、エディオンアリーナ大阪第1競技場だった。


厳密に言うと、私はそれまでにも、仙台までのプロレス遠征は経験済だった。
しかし、仕事の関係で約3ヶ月間を過ごした仙台の地は、私にとって遠征というより、第2のホームに帰る感覚。
見知らぬ土地に足を運ぶワクワクと不安を体感したのは、2019年が初めてだったように思う。


私の人生で、修学旅行や社員旅行位でしか足を踏み入れた事がなかった関西の地。
当初、この場所に行く事を決意させた動機は、ヘビー級戦士が参戦する『N-1』ではなく、『HAYATA vs YO-HEY』のGHC Jrヘビー級王座戦を見たかったから。


それでも、『N-1』の優勝決定戦のカードが『杉浦貴vs拳王』に決まった瞬間、私の一番の興味は『N-1』に移っていた。
何ともゲンキンなものである(苦笑)。


今でこそ、ABEMAやWRESTLE UNIVERSEといった配信フォームを通じて大会を視聴できるNOAHであるが、2019年当時は生配信なんて皆無に近い状況。
この日の大会も、約1週間後にG+で放送されるスケジュールだった。

今振り返ると、「TV放送まで待てない!」という気持ちも、私を遠征に駆り立てていたのかもしれない。


そんなワクワクした気持ちを引っ提げて見に行った大阪大会は、最高に楽しかった。
私の好きな杉浦は優勝決定戦で敗れてしまったけれど、魂を震わせるような拳王との一戦に、駅までの帰路は満足感で胸がいっぱいだった。


帰りの大阪散策も、非常に楽しかった記憶がある。


翌2020年も、『N-1』優勝決定戦の舞台はエディオンアリーナ大阪第1競技場だった。
大会も勿論の事、中々行けない土地の店や、会えない人に巡り合えるのも、遠征の面白さだと私は思う。


また、大阪に行きたい。


【1興行分のチケット代】でタクシーを走らせた、高崎へのハシゴ観戦

無茶の多い遠征は、時として一生モノの記憶になる。

2020年の『N-1 VICTORY』では、開幕戦の名古屋大会と、リーグ戦終盤の新潟大会を除く、計6大会を現地で観戦した。


個人的に、この年の『N-1』で今でも忘れられないのが、2020.9.20に行われたニューサンピア高崎大会だ。

この日の私は、11:30に後楽園ホールでアイスリボンを観戦してから、14:00過ぎの大会終わりに東京駅へと移動。

そのまま新幹線&タクシーで高崎まで移動し、16:00開始の大会に間に合わせた。
こんなスケジュールを組んだのは、「あれ?これって行けるんじゃない?」という無謀な自信と根拠だけである(笑)。


JR高崎駅から会場までは、車で約20分前後かかる立地。
ドタバタスケジュール故に駅までのバスも出ていない為、往復はタクシー移動だったものの、往復の運賃で約4,500円を支払った時は、思わず目眩がした(笑)。


今振り返っても相当イカれたスケジュールだったけれど、沢山の思い出を掴み取れた気がする。

リーグ戦期間中にもかかわらず、タッグチーム解散直後で火花を散らした潮崎と中嶋のタッグマッチで、潮崎が中嶋から直接勝利したり、

望月成晃と桜庭和志による息を呑むようなシングルが見れたり、

メインで杉浦貴のマイクが聞けたり、

大大大満足!!!!

当時は直感と勢いだけで決めたような遠征だったので、今はもう、このようなスケジュールでは動けない気もしている。

だからこそ、自分の中の衝動とか勢いは大事にしていきたい。


まとめ

2019年、2020年と2年続けて『N-1』で遠征した私だったが、2021年の『N-1』は、そのような機会が訪れなかった。
【後楽園ホール+無観客興行】という形式で開催されたためである。


しかし、2022年の『N-1』では、2年ぶりに地方大会が復活!

今回は『N-1』初進出の広島や仙台もラインナップされるなど、各地でリーグ戦が繰り広げられる格好だ。

2021.7.11 プロレスリング・ノア 仙台サンプラザ大会より


そんな、『観測史上、最強気温』と銘打たれた今回の『N-1』で、個人的に耳目を惹かれたカードがある。
2022.8.27・名古屋国際会議場大会の『杉浦貴vs清宮海斗』だ。


我が国に新型コロナウイルスの猛威が迫る2020年2月、私は名古屋国際会議場へNOAHのビッグマッチを観戦しに訪れていた。
お目当ては、『杉浦貴vs清宮海斗』によるGHCナショナル王座戦。


当時、清宮とのシングルで3連敗を喫していた杉浦だったが、激闘の末、見事王座防衛に成功。


杉浦のフィニッシャーとなった雪崩式オリンピック予選スラムが発射される直前、私は大きな声で杉浦の名前を叫んでいた。

今振り返ると、NOAHの会場で推しの名前を叫ぶことが出来た大会は、私にとってこの時が最後だった。


あれから約2年半…。
当時から変わってしまった事、変わらないシチュエーションは色々あるけれど、「この景色は生で見なければ…!」という思いに駆り立てられた私は、気づけば名古屋行きのツアーとチケットを手配していた。

恐らく、当時と同じ会場・同じカードが組まれていなかったら、遠征する動機には至らなかったと思う。


不謹慎な言い方かも知れないが、今のコロナ禍の状況では、当日までにカードが変わる可能性だって大いに有り得る。

そして、名古屋大会は得点状況に応じて公式戦の試合順が変わる為、当時のように二人がメインに立てるかどうかは、直前まで分からない。

それでも私は、この二人が名古屋のメインに立ってほしい(いや立てる)と願ってやまないのだ。
コロナが迫りくる中で、私に生きる希望を見出してくれたカードの一つだったから。


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