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変態プロレス放談

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しがない変態プロレスファンが、プロレスを中心に気付いたこと・感じたことを徒然なるままに書いてみました。 ひとつよしなに…!🙇🙇🙇
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#趣味

「推しが推せる時に来た」と感じた話について

はじめに「推しは推せるうちに推せ」という言葉がある。 詠み人知らずの唄みたいだけど、定期的に耳にするのは、誰にでも刺さりうる"別離"について触れているからだと私は思う。 いつ、好きな人や大切な人が目の前からいなくなってしまうかなんて、誰にも分からない。 それは何も、推しという存在に限った話ではないだろう。 私も実際、親族とか、大学時代に世話になった先輩とか、プロレスを通じて知り合った人とかとの離別で感じた後悔とかは、少なからずある。 一方で、必ずしも推せるうちに、自

数字視点の趣味は地獄だと思った話

はじめに先日SNSを弄っていたら、突然このような引用コメントが飛んできた。 私自身、このコメント主と面識もやり取りも一切ないし、「ただのクソリプみたいなものだ」と一蹴してしまえば何とか解決する話だろう。 でも、前々から私自身抱えていた何かが、このクソリプを以て弾けた。 その弾けた何かは、歪だとしても、自分なりに形に残してスッキリさせた方が良い。 だから、今私はこうしてnoteで記事を書いてみた。 怒りだとか、モヤモヤだとか、SNSでは文字数的に書けない事だとか…。

猪木・馬場・三沢ではなく、自分が泣いている人の話

はじめに私は、アントニオ猪木、ジャイアント馬場、三沢光晴、橋本真也といった、プロレス団体創設者で構成に残る名レスラー達を通らないまま、2015年春にプロレスファンになった。 ファンになる前から上記の4選手は知っていたけれど、地上波深夜に放送されていたプロレス中継やバラエティー番組で見聞きしていただけで、この中で映像で試合を見たことがあるのは三沢光晴だけである。 でも、私がプロレスそのものに対して本格的にハマったのは、2015.1.4の新日本プロレス東京ドーム大会で行われ

【選手で自分の機嫌を取る】行為が怖いと思った話

はじめに先日、女子プロレスラーのジャングル叫女が、このようなツイートを残した。 「選手から『いいね』されたい」 そんな話は、1年前の今ぐらいの時期にも耳にした記憶がある。 ただ、今回そのような話が出た時に感じたのは、どこか、胸のすくような思いだった。 白状してしまうと、選手の反応で自分の機嫌を取ろうとしているようにしか見えない一部の人の行動に、私は心底うんざりしていたからである。 『自分の機嫌を第三者で取る』怖さ『自分の機嫌は自分で取る』という言葉がある。 残念な

"好き"は無資格だからこそ素晴らしい

はじめに以前、私のTwitterアカウントのツイートに、こんなリプライが届いた事があった。 私は、少々答えに窮した。 私の中では、"いつの間にか、なっていた"のが【ファン】という感覚があるから…。 私は、ファンという存在に必要な資格や試験はないと思っている。 コンテンツに因んだ検定やテスト企画もあるけれど、それが愛を決める絶対的要素だとは思わない。 私自身、プロレスを見始めたキッカケは新日本プロレスだったが、全日本プロレスを観た事で「色々な団体を見る」面白さを感じ、

他人の指す"後悔"が、自分の"後悔"とは限らない

はじめに「〇〇に行かないと絶対に後悔する」 「〇〇をやらないと後悔する」 自分自身の行動予定を天秤にかける際、私はこの基準をとても大事にしている。 一方で、この基準を他人に押しつける事については、激しく違和感を覚えてしまうタチだ。 人によって、後悔に至る判断基準は異なると思う。 私は最近、その事をひしひしと感じるようになった…。 後悔の基準は人それぞれ2022年、私の中で一つ、目標にしていることがある。 それは、【プロレス生観戦】の回数を減らすこと。 別に、プ