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世界恒久平和への願い"広島平和資料記念館・平和記念公園"

ここ数週間の報道を見て思う。

現代の人々は痛ましい過去の経験を通して、二度と同じことを繰り返さないことを学習したはずではなかったのか‥。

広島や長崎の人々が体験してきたことを語り継ぐ活動はもちろん、関連した建築もまた恒久的な平和を訴え、尽力してきた。

広島市と長崎市は、2月28日にロシアのプーチン大統領に対して、核使用を示唆するような一連の行為への抗議文を発表している。被曝経験をした人たちは、さぞ憤りを感じていることだろう。

数年前、子どもに戦争や被曝地のことを知ってもらうために訪れた平和資料記念館と平和記念公園について振り返りたい。


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1.原爆ドームへ向かう景観の軸線

コンペによって、丹下健三氏の原爆ドームに向かって平和大通りと垂直な軸線を構築し、その軸の上に祈りの泉、平和資料記念館、慰霊碑が配された案が採用された。これが戦後まもなく考えられ、後に日本のみならず世界中のランドスケープアーキテクトの参考として取り扱われているのは言うまでもない。そして東日本大震災でもそうだが、経験を風化させないために被爆の状況がわかる原爆ドームがこの計画では最も重要な存在とされている。その時の事を思い出して辛い思いをする人もいるだろう。しかし、あり得ない状況を見ることで、過去に起こった事実を未来に伝える事もまた必要だ。

2.言語を超え平和を伝える建築様式

平和資料記念館は、前述の軸線上にあり、足元はピロティになっていてRCの壁が上部の建物を支えている。その壁はユニテ・ダビタシオンを参考にしたと言われていて、曲面があり、微妙に傾斜している。展示空間のファサードもまた遠景でも美しいフォルムの比率が考えられ、近くで見上げるマリオンもまた力強い。このような配置計画、建物の意匠はその場を訪れた人であれば説明がなくともどういう事を意図した場なのかが理解できるだろう。そして今でも世界中の多くの人が訪れ、ここで平和を祈っている。それは丹下氏が最も願っていたことだと思う。

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3.足元は平和を祈る集いの広場

このような配置計画にしたのは、丹下氏が現在の広島大学に通い広島で生活していた経験が関係している。広島の街におけるこの場所の読み取りや、父を広島で亡くし広島復興に向けた強い信念が体現されている。コロナ前までは、8月6日には記念公園内で行われ平和記念式典の様子ごニュースで取り上げられる。国内外からの要人も含め、被爆経験をした方や遺族、地元の人々が集い、皆亡くなった方々の霊を慰め、平和を祈る。その場にいなくてもニュースを通じて、どういう事が過去にあったか、親から子へ伝えていく。

長く平和を訴えてきた人々やその行いが、今こそより多くの人に伝わってほしい。

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