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【歌があったから生きてこれた】

1、追悼の歌 水平線を越えて
2、あい
3、故郷(こきょう)
4、福島山河
5、秋桜物語
6、向日葵の絆 または、ひまわりの絆
7、川開き~すべての子供たちを偲んで~
8、あなたが桜になりなさい
9、南からの風
10、蒼き夢の世界
11、お父さんへ、お母さんへ
12、ここに地終わりて 海始まる
13、小さな星になろう
14、平和の花
15、星たちの夢
16、誓願の城
17、ミントの香る港町にて(阪神淡路大震災 追悼の歌)

私がこの12年間で,創った歌の題名である(一部未完成のものもある)
私は東日本大震災の翌年から、主に追悼歌を作詞作曲し始めた。

しかし数年後には、震災関連ではない、愛の歌や、恋の歌も
創り始めた。
正直言って、震災のことは忘れてしまいたかったからだった。

しかし、忘れることは生涯、出来るはずはないだろう。
それは分かっている。
津波のシーンが出てくる動画は、発災後から7年間くらいは
観ることすらできないほど、フラッシュバックは頻繁に起きていた。
鬱病にもなったし、パニック障害も(これは震災前に発症していたが)
なかなか治らなかった。
そんな気分から、ある意味で逃れたかった。もういい、たくさんだ、という嫌悪感と逃避の心。

阪神淡路大震災や東日本大震災、また熊本地震はじめ大きな災害を経験した人たちは、おおむね同じ想いだった時があったのかもしれない。

しかし、本気になって命を懸けて「行学の二道」に徹した時、
自分は変わった。
ここで死んでも悔いない、と覚悟した時に道は大きく拓けた。
、、、、、、、、、

わたしはこの世界の在り様を、変えたいと今は強く想っている。
2017年からは特に、その想いが強い。
それは、使命感であり、あえて言えばこの世に生を受けて、これまで
様々な経験をしてきた自分のありったけの誓いであり、願いでもある。
そして私という人間を今日まで生かせてくれた両親をはじめ、たくさんの方々への報恩の願いなのである。

もちろん自分なんて、全然ダメダメだ。いくら頑張っても
過去の悲しみや人の心を傷つけた歴史は消えない。
そんな重い心が、時に自分を嫌いにさせる。
それでもやっぱり立ち上がろう、変わろうと起き上がってきた。
過去の愚かさや過ちを悔いても、そこから何の価値が生まれよう?

仏法の生き方は、「現当二世」だ。現在の今と未来を常に生きる
革命的な思想が根底にあるのだ。

だから、ここ1年くらいは、未来に向かっての歌や、恋の歌、愛の歌を
創ってきた。
そんな歌を創作しているときの気分は、とても好きだ。
恋する人と対話しているような高揚感もある。
だから、前に進めたし、心の弱さを押し上げて生の方向へ向かえた。

歌は生涯創っていくだろう。

それはクリエーターとしての喜びと共通する想いだろう。

歌がなければ、私は生きてこれなかった。
これが正直な私の想いだ。

NO  MUSIC  NO  LIFE   2023年02月03日 立春の前日に

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