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父をはじめとする満州で終戦を迎えた兵士は、ソ連兵によって武装解除させられた。ソ連と日本は協定を結んでいて、日本軍と戦うことをしないと結んでいた約束を破って、ソ連兵は満州に進軍して来た。
共産主義国家は、ほぼどこの国も、約束を守らないし、国際法なども無視するし、相手の立場などを考えない思想の人間だ。
或る意味で、共産主義思想という信仰を持った野蛮人なのである。

もちろん日本人も、神国日本などという幻想を持ち、いざという時は神が日本を救う等と言っていたのだ。当時の日本も神国思想を持った狂気の国だったのだ。
日本が国家神道を掲げて、1億玉砕などというスローガンのもと、無謀な戦争をして、その戦争で神は、この国を助けただろうか?
むしろ逆だった。思想の自由は制限され、治安維持法という悪法のもと、
自由な発言は封じられ、神札を持たない、または受けない人間や団体は国賊と罵られて、逮捕、投獄されたのである。
なにが神の国日本なのだろう。太平洋戦争で幾十万という戦死者を出し、やがて日本国中が空襲によって、主要都市は火災によって焼失し、果ては原子爆弾の投下によって、広島、長崎の街とそこに住む人たちは、地獄の惨状となっていった。

神が日本を救うなど、嘘っぱちだった。
逆だった。
神を信じたことによって、この国はいったんは亡びたのである。

その事実を、その愚かなかつての日本の歴史を忘れてはならない。

天皇陛下は、終戦後、神から人間になった。


愚かな思想ほど怖いものはない。そんな日本に生まれた若き青年が幾十万と
尊き命を失っていった太平洋戦争終結までの歴史を、もう一度日本人は学ぶ必要があるだろう。

https://www.youtube.com/watch?v=o7j-zYh_GiQ


満州の日本兵はソ連軍によって、シベリアへ連れていかれて、重労働の過酷な運命が待ち受けていたのである。
私の父は二年間のシベリア抑留ののち、解放されて、命を長らえて、舞鶴港にどうにか戻ってくることができた。その陰には、たくさんの同期の兵士が命を落としていった事実もあるのを、私はのちに知った。
この事実は生涯忘れずに伝えていかねばならない、と固く決意している。





そうして舞鶴港に降り立った父は、列車にて、故郷の地に帰ってきたのである。その時、父は26歳になっていた。

           =~~⑥へ続く~~

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