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【製本記】 飛ぶ教室 02 | エーミールの憂鬱

本をつくってばっかの日々。編集者として本を編みながら、時間を見つけては製本家として本をこしらえている。編集した本は世にでて光を浴びるが、製本した本は暗所に埋蔵するだけの習作も多く、せめてここに記録する。

バラバラにした『飛ぶ教室』を、再びつなぐ。細く切った和紙をノドに貼ることで、もともとつながっていた見開きを復元するのだ。糸かがりだったなら必要のない工程で、なかなか面倒だ。

つなぎには、雁皮紙(がんぴし)という和紙を使う。樹皮の繊維でできていて、きめこまかく光沢があり、向こうが透けるほど薄い。本になってしまえばほんとど見えない部分に使うのだが、溜息がでるほどきれいな紙だ。

つないだ見開きを二つ折りにし、4見開きを重ね、16ページの「折丁」にする。この地道な作業をページの分だけくり返す。


こうした単調な工程にすら心が弾むのは、この本が一点ものだからであり、どこをどうつくるか、すべて自分の裁量次第だからだと思う。これがもし誰かの指示通りに、しかも何百、何千という単位で均一につくらねばならないとしたら、心の置きどころは随分違ってくるだろう。たとえそれが小さな世界だったとしても、「親方」としての仕事は格別だ。

そんな親方の立場を奪われたのが、『飛ぶ教室』の作者、エーリヒ・ケストナーの父親だ。父の名はエーミール。彼は、評判のいい革職人だった。若くして自分の工房を構え、親方として腕を振るった。あんまり腕がいいものだから、エーミールのつくった鞄や財布やランドセルはちっとも壊れなかったという。壊れないのだから、修理する必要も、買いかえる必要もなく、じゃんじゃん儲かるようなことはなかったのだけれど。

真面目にコツコツと働いたエーミールだが、革職人としての生活は、やがて立ちゆかなくなる。産業革命の波がヨーロッパの隅々にまでに押し寄せ、世の中が変わってしまったからだ。息子のケストナーは、自伝『わたしが子どもだったころ』で当時のことをこう綴っている。

「機械の時代は戦車のように、手仕事と自立との上をころがって行った」

かくしてエーミールは、大量生産という戦車のキャタピラの下敷きとなった。自前の工房をたたみ、ドイツ東部、ドレスデンのトランク工場の職工になるしかなかった。その憂鬱は察するに余りある。

好きなことや得意なことを仕事にして生きていけたら、素晴らしい。しかし、時代がそれを許してくれないこともある。運といえばそれまでかもしれないが、厳しい修業の末に獲得した技術と勤勉に働く人の自立を奪うほど価値のあるものなんて、本当にあるだろうか。


それでもエーミールは終生、つくることの楽しさを忘れなかった。このことに、せめてもの希望を感じる。『わたしが子どもだったころ』によれば、エーミールは70歳になるかならないかの頃、アパートの地下室で実物大の馬の模型をこしらえた。目玉はガラスで、たてがみと尾は本物の馬毛。鞍や手綱などの馬具には革職人としてのありったけの技術が注ぎ込まれていた。鞍の下には車輪がついていて、エーミールはこの馬にまたがってカーニバルの行列に参加するつもりだったらしい。

一聞すると微笑ましいエピソードだが、エーミールが70歳前後ということは1930年代後半のことだ。それは、ナチスが勢いを増し、ユダヤ人の迫害が激化していた時期と重なる。ベルリンに暮らす息子のケストナーは、この頃、たびたび身の危険を感じていた。恐々としながらやっとの思いでドレスデンの実家に戻ると……父親が得意げにお馬さんを見せてくれた、というわけ。

みなが神経を擦り減らして命からがら生きている暗闇の世で、それとはあまりにかけ離れた父のありようにケストナーは絶句した。それから、無性におかしくなって、ひさしぶりに大笑いしたという。


ものをつくる人間って、そんなものかもしれない。時代がどうあろうと、世の中がどうなろうと、手を動かして目の前のものに情熱を傾ける。見方によっちゃバカみたいだけれど、それしかないのだ。生きることの実感なんてものは、ドラマチックなできごとよりもむしろ、日々の何てことない営みに宿っているのだと思う。エーミールにとっては、それが手仕事だった。

ちなみに、エーミールが手製の馬にまたがってカーニバルに参加することはなかった。当日、馬を押してくれることになっていた友人が流感で寝込んでしまったのだ。エーミールの人生には、ちょいちょいこういうことが起きたようだ。そのたびに、彼は忍耐と微笑みでもってやりすごした。ケストナーは「父はいつも手仕事の名人であり、ほとんどいつでも微笑みにかけて名人だった」と記している。

エーミールのように、なぜかいつも日の当たらないほうへ追いやられてしまう人のことが、どうしようもなく気にかかる。知らず知らず、自分に重ねてしまうからかもしれない。わたしにとって救いなのは、ケストナーの代表作の一つ『エーミールと探偵たち』に父の名が刻まれていること。そして、その作品は永遠に残るであろうことだ。

余談だが、エーミールはケストナーの本当の父親ではないという説がある。エーミールの妻イーダと、近所のユダヤ人医師との不貞によって授かったとか……。この話が本当ならばケストナーは半分ユダヤ人ということになり、ナチス時代の生き様がますます信じがたい英雄譚となるのだが、真相は定かじゃない。確かなのは、晩年のエーミールが病に臥した妻を献身的に看病したことと、長年疎遠だった父子が最後にはよい関係を築いたということだ。

さて、つなぎの作業を終え、『飛ぶ教室』は15の折丁となった。しばらくプレス機に挟んでおくと、つないだ部分も落ち着いた。名工、エーミールの域には遠くおよばないが、わたしも、手でつくることの喜びに溺れている。


●『エーミールと探偵たち』エーリヒ・ケストナー/池田香代子 訳(岩波書店)


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