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【製本記】 飛ぶ教室 01 | 親愛なるケストナーさんへ

本をつくってばっかの日々。編集者として本を編みながら、時間を見つけては製本家として本をこしらえている。編集した本は世にでて光を浴びるが、製本した本は暗所に埋蔵するだけの習作も多く、せめてここに記録する。

小説『飛ぶ教室』に取りかかる。約90年前、ドイツで生まれた児童文学作品だ。日本でも邦訳が重ねられているロングセラーで、岩波少年文庫、新潮文庫、角川つばさ文庫などから出版されている。また岩波書店の「ケストナー少年文学全集」にもラインナップされており、上製本でも手に入る。

今回は、その上製本を改装しよう。まず、本を解体する。見返しのノド(本の綴じられた側を、外からは「背」、内からは「ノド」と呼ぶ)に切り込みを入れ、表紙と本文を分離する。もしかしたら糸綴じかも……という淡い期待も虚しく、本文は「アジロ綴じ」だった。アジロ綴じとは「無線綴じ」の一種で、背に切れ目を入れて糊で固めたものだ。カチコチになった糊をこそげ落としながら、200ページ余りを一枚ずつ慎重に剥がしていく。

剥がすたび、物語の断片が目の端をよぎる。「ごまかさないでほしい、そして、ごまかされないでほしい」「くじけない心をもってくれ」「正しいことを愛してる」……そこには、思わずたじろいでしまうほど真っ直ぐなことばたちが連なっている。


この小説の作者は、エーリヒ・ケストナーという。「高橋源一郎さんじゃないの?」と思ったそこのあなた、ラジオ派だね。ラジオ「高橋源一郎の飛ぶ教室」はわたしもちょくちょく聞いているが、この番組名はケストナーの小説に由来する。「飛ぶ教室」は、実に魅力的なフレーズだと思う。簡潔で、覚えやすく、軽やかで、何だか自由な感じがする。

小説『飛ぶ教室』の舞台はドイツのギムナジウムだ。男の子ばかりの寄宿学校で、日本の小学校高学年から中学、高校までを一緒にしたようなものらしい。主人公はそこで学ぶ5人の少年で、彼らがクリスマス会で演じる芝居のタイトルが「飛ぶ教室」、というわけ。未来の学校を描いた予言的な芝居で、劇中、生徒たちは飛行機で世界中を飛びまわる。歴史の授業ではギザのピラミッドへ、地学の授業では北極へ。クリスマスには天国まで飛んでいく。もちろん天に召されるわけじゃなく、ちょいとお邪魔するだけだ。

残念ながら(?)本当の未来はこの予言的芝居のようにはならず、インターネットという新手の出現により、教室は、飛ばずして世界とつながることとなった。とはいえ、この小説が世にでた当時は飛行機に乗ったことのある子どもなんてほとんどいなかっただろうから、みんな、この劇中劇に胸を躍らせたに違いない。


この小説をはじめて読んだのはいつだったか、もうわからない。でも、ただただおもしろくて、清々しい気持ちになったことは覚えている。5人の少年の存在が妙にリアルで、クラスでもひときわ小さかったわたしは「ちびのウーリ」にシンパシーを抱かずにはいられなかったし、ジョニーと友達になりたいな、ベク先生がいたらいいのにな、などと空想に耽った。

大人になったいまならわかる。これぞまさに、ケストナーが小さい読者たちにプレゼントしたかった時間なのだろう。この小説が発表されたのは1933年。ナチスが台頭し、アドルフ・ヒトラーがドイツの首相になった年だ。

ナチスによる言論弾圧が強まる中、多くの文化人が逮捕され、亡命者が続出していた。ケストナー自身、この年の5月に起きた焚書事件で著作を焼かれている。暮れには銀行口座を封鎖され、ゲシュタポに逮捕されてもいる(幸い無事釈放された)。人々の日常がじわじわと暗闇に塗り込められていった、不安しかない時代。ケストナーはドイツの子どもたちにささやかな楽しみを届けたくて、このクリスマス物語を書いた。


ケストナーは子ども向けの小説を何冊か書いているが、この『飛ぶ教室』は最高傑作といわれている。作中に、こんな一文がある。

「平和を乱すことがなされたら、それをした者だけでなく、止めなかった者にも責任はある」

これは、いたずらざかりの少年たちに手を焼いた国語のクロイツカム先生が生徒たちに書き取りさせた文章で、小説の文脈とは直接関係ない。だが、これがケストナー自身の叫びであったことは、いまとなっては明らかだ。

ナチスの崩壊後、ヒトラーの暴走を傍観したドイツの人々にも責任があるといわれた。すべてが終わったあとで、そう指摘するのは簡単だ。でも、ナチスの時代が幕を開けたそのときに、ケストナーはその危うさを予見して、焚書の対象外だった児童書の中にドイツの人々への警鐘を紛れ込ませた。何という知性と胆力だろう。


主人公の少年たちは、それぞれによろこびと苦しみを味わい、恥ずかしさや悔しさ、怒りや悲しみを噛みしめて、勇気とやさしさを身につけていく。心あたたまる物語を紡ぎながら、ケストナーは子どもたちに語りかける。

「世界の歴史には、かしこくない人びとが勇気をもち、かしこい人びとが臆病だった時代がいくらもあった。これは正しいことではなかった」

「ぼくが願っているのは、なにがたいせつかということに思いをめぐらす時間をもつ人間が、もっとふえるといいということだ。金も地位も名声も、しょせん子どもじみたことだ。おもちゃだ。それ以上じゃない」

90年前のことばが、ぞっとするほど生々しく胸に刺さる。ケストナーは、いま、もっと読まれるべき作家だと思う。

さて、解体した『飛ぶ教室』は、アジロ綴じの切れ目と糊のせいでもろもろになってしまった。そこで、背側の辺を断裁機で断つ。最初からこうすればいいようなものだが、丸背のまま直角に断つような強引なつくり方はやめておこう。これは、親愛なるケストナーさんに捧げる一冊なのだから。


●『飛ぶ教室』エーリヒ・ケストナー/高橋健二 訳(岩波書店)
*引用はすべて岩波少年文庫版(池田香代子 訳)より


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