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【製本記】 飛ぶ教室 03 | 本の味

本をつくってばっかの日々。編集者として本を編みながら、時間を見つけては製本家として本をこしらえている。編集した本は世にでて光を浴びるが、製本した本は暗所に埋蔵するだけの習作も多く、せめてここに記録する。

折丁を復元したところで『飛ぶ教室』の下準備が整った。つづいて、15折の背を突きそろえ、手締めプレスに挟む。5箇所に線を引き、のこぎりで切り目を入れる。これは糸を通すための穴をあける作業で「目引き」という。

和紙でつないで見開きにしているのだから、折丁の背はすべて和紙だ。ということは、力任せにのこぎりをぎこぎこ押し引きしたのでは具合が悪い。柔らかなものに少しずつ刃を沈めていくつもりでやらねばならない。おそらく、焼きたてのパンを切る感覚に近いんじゃないだろうか。「おそらく」と断りを入れてしまうのは、わたしがあまり料理上手ではないからだ。


料理は得意じゃないものの、食べることは好きだ。とりわけ、素朴なものが好き。『飛ぶ教室』の作者、エーリヒ・ケストナーの作品には食事や料理の場面はさほど多くないが、それでも印象に残るものがある。

まず、この『飛ぶ教室』では、主人公の少年のひとり、食いしん坊のマティアスがいつもおやつをもぐもぐしている。割れクッキーに、小さな丸パン。彼がほおばるものからは、香ばしい小麦の香りが漂ってくる。

しかし、マティアスのように思う存分おやつをほおばれる少年は、ケストナーの子ども向け小説ではめずらしい。なぜなら、多くの主人公は貧しい暮らしを強いられているから。1900年代前半のドイツの労働者階級の子どもの生活、つまりケストナー自身の少年時代がモデルとなっているのだ。

例えば『点子ちゃんとアントン』のアントンは、病気のお母さんに代わって料理をする。小麦粉と水でかさを増し、さっと火を通したかき卵。それと、塩ゆでしたじゃがいも。アントンは、これを自分とお母さんの二人分つくる。お母さんは「とってもおいしいわ」といって口に運ぶ。

一方、『エーミールと探偵たち』のエーミールの好物は、ハム入りマカロニだ。詳しくは書かれていないが、母子の暮らしぶりから察するに、ほんの少しのハムでつくる慎ましやかな料理なのだろう。でも、エーミールはお母さんのつくるハム入りマカロニを食べると元気になる。それはきっと、エーミールが大人になってからも変わらないだろう。

料理の味は、素材や調味料だけでは決まらない。お金をかけたからって、おいしいとは限らない。誰がどんなふつにつくってくれたのか。どんなとき、どんな場所で、誰と一緒に食べるのか。一皿のハム入りマカロニは、こうしたすべてを味わいとして取り込んでいる。


わたしだって、きなこをまぶしたおにぎりについては譲れない。「え、おにぎりにきなこ? おはぎじゃあるまいし……」と思うだろう。だけど、このちょっと風変わりなおにぎりは、わたしとって特別だ。

土曜の昼、小学校からお腹をすかせて帰ってくるわたしのため、母がにぎってくれたおにぎり。わが家では、海苔を巻いたのと、とろろ昆布をまぶしたのと、きなこをまぶしたのの3種類が定番だった。とりわけ、きなこおにぎりはわたしのお気に入りで、いつも最後までとっておいて大事に食べた。

米がまとった薄い塩味と、きなこの甘味。口のまわりについたきなこの、もたっとした感触。同じく口のまわりにきなこをつけた妹の顔。茶の間に漂う、ちょっと気怠い空気。あのときテレビで流れていたのは「白バイ野郎ジョン&パンチ」だったような気がするけれど、遥か昔のことで自信はない。

いつまでもつづくように思われたのに、二度と手に入らない時間。きなこおにぎりには「土曜の昼下がり」という永遠がつまっている。


本もまた、そういうものだと思う。そこに書かれた知恵や物語もさることながら、手ざわり、重み、紙のにおい、インクのにじみ、そしてその本を開いた場所や、その本を手渡してくれた人や、読んだときの心模様。そうしたすべてをひっくるめて、その本はその人の一冊になる。

わたしはいまも、赤川次郎さんの文庫本を手にすると、中学校の休み時間の喧騒に包まれる。クラスの輪に入っていくのが苦手で、教室の隅で「三毛猫ホームズ」や「三姉妹探偵団」にかじりついていた。そうしている限りは「輪に入っていけない子」ではなく「赤川次郎に夢中の子」になれた(実際、夢中だったのだけど)。あの文庫本には、被膜のような魔法があった。

さくらももこさんの『もものかんづめ』を開くと、はじめて一人暮らしをした5畳のワンルームがよみがえる。パイプペッドに寝そべって、ちびちびとページをめくった。いつか、こんなふうに文章を綴る仕事に就きたいと夢見た。あのときのわたしに教えてあげたい。「数十年後、あんたは編集者になって、さくらプロダクションの方々や祖父江慎さんと仕事をすることになるのだよ」と。たぶん、信じちゃくれないだろうけど。

本は、こうして周辺を取り込んでいく。そしてそれは、紙の本なればこそだと思う。人の記憶は頼りなくて自分勝手で、それゆえ、本という物体を媒介にして甘く酸っぱく、味変していく。そう、紙の本は味がするのだ。わたしだけの、あなただけの、忘れられない味がする。

さて、目引きはこんなものでいいだろう。この本は麻ひもを支持体にして糸かがりするつもりなので、その麻ひもがぴったり埋まるくらいがちょうどいい。いやはや、この本はどんな味になるだろう。唯一無二の味を目指して、仕込みはつづく。


●『もものかんづめ』さくらももこ(集英社)


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