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【製本記】 野ばら 04 | おじいちゃんの野ばら

本をつくってばっかの日々。編集者として本を編みながら、時間を見つけては製本家として本をこしらえている。編集した本は世にでて光を浴びるが、製本した本は暗所に埋蔵するだけの習作も多く、せめてここに記録する。

表紙に型染めをした『野ばら』だが、丸と楕円の羅列ではまだ「野ばら」には見えない。このシンプルな図形を花と葉に仕立てるべく、伝熱ペンで箔押しをほどこす。こまかな描写は技術が追いつかないので、花弁や葉脈を表すちょっとした線を足してみる。以前『飛ぶ教室』の表紙にいくつもの点を箔押しして星に見立てたときよりは、半歩くらい前進しただろうか。


この単純化した野ばらの図案は、わたしにとってはお決まりのものだ。誰かにお祝いのカードを贈るときなど、片隅にちょこちょこっと添えているもので、小中学生のときに友達とやりとりしていた他愛のない手紙などにも描いていたと思う。さっぱり覚えてはいないけれど、当時愛読していた少女漫画などを真似て描いたのがはじまりだったんじゃないだろうか。

表紙いっぱいに輪を描くように配した野ばらは、遠目に見れば悪くない。近くで見ると、絵の稚拙さと型染めの粗さと箔押しの適当っぷりが目につくものの、今のわたしにできるのはここまでだ。


こうして野ばらをモチーフにあれこれ試行錯誤していた、ある日のこと。わたしがいまどんな製本をしているかなどまったく知らない母が、ふいに、ある焼物を見せてくれた。それは、もう何十年も前に他界した祖父が絵つけをほどこした酒器だった。祖父は陶芸家でも絵つけ師でもなく、会社員として働いた人だが、何かと手を動かすのが好きだったという。とりわけ「書く/描く」ことをこよなく愛し、書道やら絵つけやらに精をだしていたらしい。

その酒器を見た瞬間「あぁ、そうだったのか」と得心した。細筆を使って呉須で描いたと思われる藍青色の図案は、偶然にも野ばらをモチーフにしたものだった。ころんとした花の形といい、遠慮がちに添えられた葉の塩梅といい、花と葉の間合いといい……わたしが描いた野ばらとよく似ていた。


祖父はわたしが物心つくかつかないかの頃に他界してしまったので、思い出は決して多くない。会いに来るときはいつも途中の駄菓子屋でお土産を買ってきてくれたこと、寒い季節には目の前で「かきもち」を焼いて食べさせてくれたこと、食事のあとには必ず養命酒をくいっと飲むのだが、それをわたしにぺろりと舐めさせては「まじゅーい」というのをおもしろがったこと。辛うじて覚えているのは、そんな「おじいちゃん」としての姿だけだ。祖父が文字や絵を描く姿はおろか、筆をもつ姿すら見たことはなかった。

にもかかわらず、わたしの中に筆を握った祖父がいた。母いわく「怒った顔を見たことがない」ほど穏やかだった祖父は、ひょっとすると、ずっと前からいたのかもしれない。物静かに、にこにこと微笑みながら。どうにも鈍い孫娘は、その存在に気づくのにこんなにも時間がかかってしまった。

いまになって、ようやくわかった。自分でもどこからやってくるのか説明のつかなかった「本をつくりたい」という衝動は、たぶん、祖父が駆られていた「書きたい/描きたい」という衝動とつながっている。


製本は手工芸の中でもメジャーとはいえないものだ。だからこそ、製本仲間とは話が通じ合うものの、そうでない人にこのおもしろさを伝えるのはなかなかむずかしい。しかし、祖父ならきっと、心から理解してくれただろう。この高揚感を、充足感を、そして、ことばにならないもどかしさを。

本をつくるのが楽しいとき、苦しいとき、祖父と話すことができたらどんなにいいだろう。しかし、祖父とわたしは大人同士として話す時間をもつことができなかった。それはもう、どうしようもない。わたしにできるのは、ようやく出会えた自分の中の祖父の気配に耳を澄ますことだけだ。いや、耳を澄ます必要すらないのかもしれない。祖父がそこにいる、そう思うだけで、心の置きどころを得たような気がする。


おじいちゃんと孫が登場する物語は多々あるが、フィリパ・ピアスの『まぼろしの小さい犬』は深く印象に残っている。主人公の少年ベンは、犬がほしくてたまらない。ベンのいちばんの理解者であるおじいちゃんは、誕生日になったら犬をプレゼンとしてやろうというが、その約束は反故にされてしまう。深く傷ついたベンは、いつしか「まぼろしの犬」に夢中になる。

理想を思い描くことは生きる糧になるけれど、それに執心しすぎると、かちんこちんに凝り固まった完全無欠の理想に自分自身が追いつめられることになる。理想は夢想という殻の中で膨らませるものじゃなく、ままならない現実と折り合いをつけながらかたちを見つけていくものだ。それは妥協ではないし、あきらめとも違う。生きる胆力みたいなものだ。

ベンのおじいちゃんは、素朴ゆえに不器用な人だ。ベンのもとへやってきた犬のブラウンは臆病で、勇敢な「まぼろしの犬」とは比べものにならない。それでも、そんなおじいちゃんとブラウンがべンを殻の外へと解放する。ことばでも行動でもなく、ただ、その存在そのものがベンをあたためるのだ。

さて、箔を押した表紙で芯材をくるむ。中央に題字を入れればよくなりそうだ。つづけて表紙と本文を貼り合わせ、熱した「いちょう」で溝を入れる。いちょうに力を込めながら、淡いブルーの花々を眺めた。

おじいちゃん、わたしの野ばらが咲いたよ。


●『まぼろしの小さい犬』フィリパ・ピアス/猪熊葉子 訳(岩波書店)


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