見出し画像

【製本記】 飛ぶ教室 05 | 24年で4週間しか会えなかった友達

本をつくってばっかの日々。編集者として本を編みながら、時間を見つけては製本家として本をこしらえている。編集した本は世にでて光を浴びるが、製本した本は暗所に埋蔵するだけの習作も多く、せめてここに記録する。

糸かがりした『飛ぶ教室』を水平に置き、背の丸みをだす。この作業を「丸みだし」と呼ぶ。本には「丸背(まるぜ)」と「角背(かくぜ)」があり、背表紙が半円形なのが丸背、平らなのが角背だ。文庫本などの並製本や絵本などの薄い上製本は角背だが、ある程度厚みのある上製本には丸背が多い。

この本を含む「ケストナー少年文学全集」は、解体してみたところ「アジロ綴じ」の丸背上製だった。しかし、おそらく1962年の初版では「糸かがり」の丸背上製だったんじゃないだろうか。丸背というのは本来、糸かがりと因果関係にある。折丁のノドに糸が通ることで背側に生じる膨らみを、背を丸めることで解消し、本を平らにしているのだ。


エーリヒ・ケストナーの子ども向け作品を集めた「ケストナー少年文学全集」は、全9冊。うち『飛ぶ教室』を含む7冊は、ヴァルター・トリアーの挿絵が表紙と本文を彩っている。あとの2冊はトリアーの死後に出版されているので、もし長生きしていたならそれらもトリアーが描いたかもしれない。

ケストナーとトリアーは1928年に出会い、トリアーが急逝した1952年までコンビを組んだ。この全集に含まれない大人向け小説や再話絵本も含めると、二人は24年で15冊の本をともに手がけた。案外少ないと感じるだろうか? だが、二人の創作活動がナチスの弾圧下で行われていたことを考えると、24年という歳月も15冊という数も、わたしには途方もないものに思える。


コンビを組んで8年目、ユダヤ人であるトリアーはナチスの迫害から逃れるためイギリスへ亡命した。他方、ケストナーはドイツに留まった。多くの知識層が亡命する中、なぜ険しい道を選んだのか。ケストナー本人は「作家たるもの、逆境にある自国の人々がいかにその運命に耐えるかを見ておかねばならない」と説明している。これも本当だろうけど、大好きなお母さんを置いていけない、というのもあったろう。それに、亡命したからといって本当の意味で自由になれるわけじゃない。故郷への思慕と追跡への恐怖がどれほど人の心を蝕むか——どんなときも客観的な視座を失わなかったケストナーなら「去るも地獄、残るも地獄」な状況を、冷静に天秤にかけただろう。

そんなわけで、トリアーの亡命以降、二人は地理的に離れ離れとなった。ケストナーはトリアー急逝後の追悼文で語っている。二人が一緒にいられた時間は、24年におよぶ長いつきあいの中で「慌ただしい15分間をいちいち勘定に入れても、4週間ほどにしかならない」と。


遠く離れていてもなお、ケストナーとトリアーはともに本をつくり、よき仕事仲間でありつづけた。さらには、よき友でもあった。トリアーがドイツを去るとき、ケストナーがおもちゃを贈ったという逸話もある(トリアーは大のおもちゃ好きで、おもちゃのコレクターだった)。

二人にまつわるエピソードの中で、わたしが最も気に入っているのは「ザルツブルク旅行」だ。コンビを組んで9年目の1937年。ケストナーのもとへトリアーから連絡が入る。「いま、ザルツブルクにいるんだけど、こっちに遊びにこない?」—— 亡命先のイギリスからオーストリアへ旅行にきていたトリアーからの誘いだった。

この頃のケストナーは、依然「禁じられた作家」としてベルリンで息苦しい生活をしていた。友人知人の中には、ナチスににらまれている彼を避ける者もいたらしい。孤立を深めていく日々にもたらされた旧友トリアーからの誘いは、どれほどうれしいものだったろう。

そうはいっても、ケストナーにしてみれば「行きたいのは山々だけど……無理!」というのが本音だったろう。ナチスに目をつけられたケストナーがビザを取るのはむずかしく、隣国オーストリアへは「日帰り」しか許されていなかった。持参できる現金もごくわずかに限定されていた。だが、二人はここで妙案を思いつく。ケストナーが国境際のドイツ側のホテルに泊まって、毎日オーストリアに日帰りすればよくない? ザルツブルクにいる間にかかるお金は、トリアーがおごっちゃえば解決じゃん? かくして、ナチスが課した制約を破ることなく、二人は一週間のザルツブルク旅行を満喫した。


わたしがこのエピソードに惹かれるのは、それが熱血な友情物語や壮大な亡命劇ではないからだ。トリアーは「亡命しろ」とケストナーを説得したわけでも、身の危険を顧みず逃亡を助けたわけでもない。「ドイツに残る」というケストナーの選択を受け入れ、寄り添っただけだ。犠牲を払うんじゃなくて、一緒に楽しもうとしただけだ。そこがいいなと思う。

いつも一緒にいられる友達って、素晴らしい。だけど、たとえ遠く離れていたとしても、心を近くに置いてくれる友達もまた、かけがえのないものだと思う。たとえ、24年で4週間しか会えなくとも。

こう思うのは、出不精で筆不精で、数少ない友達を大事にできていない自分へのいいわけだろうか。いいや、それだけじゃない。谷川俊太郎さんと和田誠さんの絵本に『ともだち』というのがある。「ともだちって いっしょに かえりたくなるひと」「ともだちって みんなが いっちゃったあとも まっててくれるひと」といった具合に、友達とは何かが綴られている。わたしは「ともだちって そばにいないときにも いま どうしてるかなって おもいだすひと」という一文がいちばん好きだ。

さて、丸みの形状が整ったら、手機械に挟み、ハンマーで叩いて耳をだす。たっぷりとボンドを塗り、寒冷紗を貼って背を固める。

思えば、製本は、わたしにとって「友」と呼べる存在かもしれない。20年来のつきあいだけど、会うたびにおもしろいやつだなぁと感じる。何年ブランクがあろうとも、歩み寄ればいつも黙って受け入れてくれる。


●『ともだち』谷川俊太郎/和田誠 画(玉川大学出版部)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?