放送大学大学院博士後期課程:1期生の立場から(最終回)真理への愛と世界美化の実践
放送大学大学院で一から学び直そうと考えたきっかけが、2011年3月11日の東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の過酷事故であったことは、前に記しました。根源的な思想的動揺を覚え、それまでの自分が破産したと思ったということも書きました。要するに、真実が何も見えていなかった。
修士課程と博士後期課程の5年間。私がどのように自己を変貌させたのかといえば、一言でいえば、真理への愛と世界美化の実践に生きる姿勢を確乎たるものにしたということになります。認識と行為にかかわる在り方の変容です。
真理への愛に生きることは、現在の日本社会に瀰漫する、虚偽、欺瞞、捏造、誤魔化し、操り(マニュプレート)、およそありとあらゆるフェイクの背後に隠されている真実を、透徹した眼差しで見抜こうとすることです。これはおそらく医療関係者におけるヒポクラテスの誓いのようなもので、およそ研究者の名に値する者にとっては自明の理であるはずです。
私の指導教授の専攻は美学芸術学で、東京大学大学院時代の指導教授は今道友信教授です。ちなみに、今道教授は東京大学を定年後、放送大学教授になっています。(その後、清泉女子大学教授、英知大学教授を歴任します。)
詩人でもあった今道教授と、放送大学大学院入学以前に、ささやかなご縁があったことは、以前に書きました。(今道教授がお亡くなりになったとき、慫慂されて追悼文「詩人としての今道友信先生」を寄稿して、偉大な学者が詩を書いたのでははなく、詩人が偉大な学者になったのだと書きました。)
私は指導教授から、東京大学大学院時代の今道ゼミの厳しい指導について聞いて震えあがったことがあり、自分が学問の世界ではなく、詩歌を通して関係を持てたことに胸をなで下ろしたのでした。私が知る今道教授は、繊細な感性を持ち、涙もろく、書斎で玉ねぎをかじり、右手と左手のそれぞれ人差し指だけで日本語ワードプロセッサを打つ老詩人でした。
私は指導教授と、美学についてさまざまな議論をしました。芸術を自己表現とするカント以後の近代美学とは対照的な、芸術を、いわば世界表現とする西洋古典主義美学、すなわちミメーシス美学について、私はそれを鵜呑みにすることができなかったので、教授と真剣な対話をしたのです。古代ギリシアの叙情詩は、あるいは和泉式部の和歌は、どうして自己表現ではないのかと。
放送大学で私の指導教授と同僚だった渡辺二郎教授は、私の指導教授が視覚芸術が専門であったのと対照的に、文学作品をとりあげて、存在論美学を提唱していました。作品中に凝縮され、圧縮されている真理、それが開示されるところに美が放射されるという主張は、言語芸術を博士論文とする私には、指導教授のミメーシス美学を理解する上で非常に参考になりました。
学問(ヴィッセンシャフト)が目指すものは真の開示であり、芸術が目指すものは美の開示である。しかるに、真と美を区別するのはカント以後の捉え方なのであり、真とは即ち美であるとするならば、研究者も芸術家も、ともに真理を明らかにするという同じ目的を持っているということになります。
渡辺教授はハイデガー研究から存在論美学を展開していった方です。ワーナー・エアハードの「モア・タイム」というワークショップで時間管理の方法を身につけたと前々回に書きましたが、ワーナーの各種セミナーの基礎にもハイデガーがありました。ワークショップは、システム手帖の使い方講習会ではなく、セミナーリーダーと参加者とのインタラクションによる、時間に関する哲学的探求です。そこで得られるのは一般的な方法ではなく個人的な洞察です。しばしば誤解されますが、基礎にあるのはサイコロジー(心理学)ではなくオントロジー(存在論)なのです。「達成(アカンプリッシュメント)は、(リニアなものとして観念されている時間に沿って、いつか)行き着くところではない。それは、今、既に、在る。あとは充満するだけである」。存在と時間をめぐるハイデガーのこの言葉は、ワーナーのセミナーのなかで、折に触れて語られました。(私はこの言葉の出典を確認しようとしたことがありますが、突き止められませんでした。)
三好達治の感情の詩と、リルケの存在の詩との違い。日本文学の研究者の多くはそこには無自覚でしょう。もちろん、さまざまな芸術の立場と作品があってよいのですが、その上で、真理の開示としての芸術というものがあることを認識することから開けてくる世界はあると思います。
とはいえ、芸術家も研究者も、神ではなく、限界づけられた人間ですから、真理の一部分を明らかにすることしかできない。当然、歪みがあり、全体ではない。誤りもする。しかし、目指すところは真理を証すことである。
さて、今道教授が晩年に提唱した世界美化の思想、すなわち実践美学は、それを受け継ぎ、発展させる人がいないまま、現在に至っているように私には思えます。しかし、この思想は今日もっとも必要とされていると思えてなりません。
美学とは、アカデミックな世界で議論される哲学の一分野にとどまるものではない。おびただしい脚注が付いた論文として学会誌に掲載されるだけのものではない。今道教授は、英知大学教授を退いたあと、日本美容専門学校の校長を務め、学生たちに美学の講義をしましたが、そこから実践美学という考え方が生まれたのでした。美学は、美容師、デザイナー、料理人、植木職人といった人々の、日常的実践にある、というのがその立場です。
この世界を、少しでも美しいものにしようとする人間の営み。それを今道教授は、実践美学として捉え直し、美学という学問領域を拡張しようとしたのです。そこでは、いわゆる芸術家のみならず、自分が通う学校の教室に花を飾る小学生の行為までが、地続きのものとして捉えられることになります。
今道教授は、現代を、世界戦場化の時代として捉えていました。かつては、戦場は遠隔地にあるもので、市民的日常世界と戦場とは、截然と区別されていました。ところが、今日では、大都市において、テロリズムが行われ、いつ日常世界が戦場になってもおかしくない時代になっています。
そうした現代社会において、さまざまな境遇にあり、さまざまな職業にある人々が、それぞれの生活の場において、世界を少しでも美しくしようと努力することの必要性を、今道教授は、美学者としての長い歩みの到達点として提示したのでした。
ところで、この連載をお読みになったみなさまは、私という人間を、どのようにご覧になっておられますか。西部邁のオピニオン誌『表現者』に書いていたということは「保守」なのではないか。いや、現在は村松剛を研究しているのだから、保守というより、むしろ「右翼」なのではないか。そんな風にご覧になる方がいるかもしれません。
井上光晴に関する論文を『季報唯物論研究』に連載しているということは、実は「左翼」なのではないか。「リベラル」なのではないか。あるいは、カトリックのシンパらしいが、エスト・トレーニングに参加したことがあるというから、ニューエイジのカルト信者なのではないか。そのように感じた方もありましょう。
しかし、思想的立場の違いが決定的に重要なこととは、現在の私には思えないのです。互いのイデオロギーの相違を承認した上で、相手の主張に耳を傾けることが必要です。世界を少しでも美しいものにしたいという願いは、立場を越えて共通するはずのものだからです。したがって、批判もまた、真理への愛と、互いの尊厳を尊重した上で行われなければなりません。己が信ずる正義から相手を断罪し、攻撃するのではなく、叡智をともに見出そうとする努力する。そして、この地獄のような地上の現実世界を、少しでも美しいものにしていく。
放送大学大学院で私が得たのは、このように語る自己へのトランスフォーメーションでした。博士論文を書いているとき、英国の大学院で博士号を取得した友人が、こんな言葉を私にくれました。学術の美しさは、真実に宿る美しさなのだと。そのとおりだと思います。私にとって学位記は、それを生涯追求し続ける誓いの証にほかなりません。
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