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父に届いたラブレター

父にラブレターが届いた。

70代の父は、登山と旅行をこよなく愛している。1990年代のはじめ、もう崩壊直前という頃に、パッケージツアーでソ連に行ったのだが、その時同じツアーに参加していたのが母だった。
一目惚れしたのかは知らないが、旅行中に住所を交換し、手紙をやりとりするようになったらしい。その結果、めでたくゴールインしたというのだから、人生というのはいつ何が起こるか分からないものだなと思う。

ちなみにそのあと、父は46歳で初めて子供に恵まれたのだが、その時生まれたのが私だ。

父は今でも、祖父が開いた自転車屋で、他の兄弟と一緒に働いている。月5日の休みのほかは、朝8時に出発して、夜8時に帰宅する。

私の家族は、そんな平凡な日々を楽しく過ごしているのだが、先日帰宅して早々、母がこう切り出した。


「ラブレターが届いてるよ」


え!?

当然のことながら、父は既婚者である。
しかも、私の両親はいわゆる「おしどり夫婦」という感じで、夫婦のすれ違いどころか、喧嘩一つしたことがないのだ。

私の頭は疑念でいっぱいになった。

ついに不倫か?いやまさか、元カノからの復縁依頼?
もしかして、ストーカー? 

達筆な文字が書かれた封筒を受け取ると、住所が書かれていない。 

不思議だなと思った。
私はIT業界で働いているが、この世界でたとえるとしたら、To.が空欄のメールが届いたようなものだからである。

父に聞くと、裏に書かれた差出人に、心当たりはないらしい。
私は少し不安になったが、丁寧に糊付けされた封筒と、その上に乗せられた流れるような文字を見ると、父にどうしても伝えたい気持ちがあったのだろうと思った。

父は封筒を開けて不思議な手紙を開き、2枚の便箋に書かれた文字を読み始めた。
そして、少しの沈黙の後、「ああ、90歳のおばあちゃんか」と言った。

またまた。何を言っているんだ。 
いったいなぜ、どういう経緯で90歳のおばあちゃんからラブレターが届いたというのか。
卸売の自転車屋で、何をしたら出会いがあるというのか。

中を読ませてもらうと、だいたいこんな内容だった。

「先日は椿の花を一輪くださりありがとうございました。
家の前を通るたびに、河津桜が見えて嬉しいし、
残りの人生でその花を見るのが楽しみになりました。」

一通り読んで、ほかの家族に手紙を手渡すと、大爆笑していた。
文字のうわべだけを見て笑う様子は、私の心を強く揺さぶった。

正直に言えば、私も一瞬笑ってしまったのだ。

庭に咲く椿の花を一輪あげただけで、こんなに感動して、御礼の手紙を送ってくるなんて、
宛先も書かずに直接ポストに入れてくるなんて、
最近植えたばかりの河津桜で、たいして花もついてないのに、楽しみにしてるなんて、
お世辞なのかな、不器用なのかなと思ったからだ。

でも他の家族が笑うのを見て、ひとりになり、そのおばあちゃんに思いをはせると、自分が一瞬でも笑ったことを猛烈に後悔した。

90歳。
ともに桜を見上げ、花を慈しんできた友人や家族が、少しずついなくなっていく年代だろう。
体も昔のようには動かなくなり、なかなか遠くに遊びにいくことは難しくなっているのかもしれない。

もしかしたら、インターネットというネットワークにも、つながっていないのかもしれない。
私たちは、SNSやブログなどを通し、他の人の経験談を簡単に得ることができるし、 行ったことのない場所、食べたことのないものでも、写真で見ることが出来る。
なかなか会えない人が、今何をしているのかを知ることだってできる。

でも、そうでない人たちには、毎日買い物に行く短い道のりや、身の回りにあるものだけが、生活の全てになってしまうだろう。

そんな生活を続けていたころに、私の家の前を通りかかり、
ふっと顔を上げてみたら、偶然花が咲いていたのだとしたら。
偶然父に出会って、椿の花をもらったのだとしたら。

わたしだったら、うれしいなと思った。

「たられば」でしか想像できないし、
本当はどんな思いがあったのか私にはわからないけれど 、
もしも単調な生活に、彩りを与えてくれたのが、
自宅の庭で花開いた、一輪の椿だったのなら、
先日植えたばかりの、河津桜の若木だったのであれば、 

私の家の花は、なんて愛されているのだろう。

あの河津桜が力強く育ち、多くの花をつけるころには、もう自分はいないかもしれない。
出来ればその桜を見てみたいが、寿命に人間は逆らうことが出来ない。
でも、だからこそ、その桜の成長を出来るだけ見ていたい。
そんな葛藤と、その間に垣間見える希望を、私はあの手紙から読み取った。

残りの人生にその花があるだけで、それを楽しみにするだけで、
残りの自分の人生が何倍も輝くと思ってもらえたのなら、
その家に住むひとりとして、とてもうれしく思う。
大事に育てたいと思う。

おばあちゃん、いつでも見に来ていいからね

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