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ほぼボッチの窓辺@6話

身体は食べ物で出来ている(前編)

昨日の窓辺で食事の話をしたので、帽子たちの身体が、いかに食べ物で出来ているのかを話しておきたいと思う

帽子たちに限らず、自然界のありとあらゆるものは、ゼロから何かを作り出すことはできない

常に自然界(大宇宙)の中にあるものを材料とし、その素材を化学変化させ今の姿を合成している

とすると大気中にある成分も材料に含まれはするものの、質量で考えると、材料のほとんどは飲食に依存していると考えられるだろう

そういう意味では、日本人とは、日本という風土から養われたものを食べて出来ている人のことを言うのかもしれない

日本の神話(古事記)の中にも、上記の考え方を伝える一節がある

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創世神として知られるイザナキとイザナミ。
イザナミが次々と神様をお産みになられる中、火の神様(火之迦具土神:ヒノカグツチノカミ)をお産みになった時、ミホトに大火傷を負ったことがきっかけとなりお亡くなりになった。
その後、黄泉の国に去られたイザナミを追ったイザナキ。
その会話の場面。
イザナキ)まだ国造りは終わっていない。戻ってきてくれ
イザナミ)もう、黄泉の国の食べ物を食べてしまったので帰れません

最愛の人が命懸けで迎えに来てくれた気持ちに応えられない理由となるほどに、食べ物と命との繋がりは根深く強固であることを伝えているように思う

同じ釜の飯を食った仲という言葉があるが、この言葉の真意は、上記のような日本人の考え方にこそにあるんだろうと思う

昨日の話しのように、久方ぶりに再会した友人と食を共にすることで、数年と言う隔たりを瞬時に埋めてしまう事が出来るのも、このような思想と物理的真実が作用してこその現象なんだろう

こんな話を友人と談笑しているうちに、不意に友人が真顔になり、こんなことを言った

それを考えると、コロナ禍で家族以外と食事を共にする機会が奪われているのはとても危険なことだと思うし、これがもし故意に行われているのだとしたら本当に怖いことだと思う。

これは帽子もずっと感じてきたことだった
コロナを悪用し、世の人々の繋がりを分断することで利を得ようとする存在があるように思えてならない

日本の初代天皇である神武天皇は、建都の詔で「大きな一つの家族のような国造りをしていこう」と仰っているというのに。。。


こんな事を、真っ先に感じてしまうような性悪だから帽子は嫌われるんだろう

帽子と話したことが引き金になって、帽子の愛すべき大切な友人まで、多くの人々から嫌われてしまうようなことがないように願ってやまない

どうか帽子の二の轍を踏まないで欲しい

そんな役回りは帽子だけで充分だ

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