生きる意味#2

「生きる」ということを考える時に、表裏一体と感じるものがある

それは「死する」ということ

もし生命が「死する」ということが出来なければ「生きる」という感覚はとても虚ろなものになってしまうのではないかな?

例えば「お金」という存在が、なにをどうやったって無くならない、というものであったとしたら、いったいどれだけの人が「お金」を重要視するだろうか?

きっと、ほとんどの人が「お金」に執着することもなくなるんじゃないだろうか?

それを思った時、わたしが「生きる」ことを明確に考える始まりを見つけることが出来る

「死んだらどうなるん?」

確か小学2年生の頃だったんじゃないかと思う
今でいう、AD(注意欠陥).HD(多動性).LD(学習困難)な子どもだったわたしが、何がきっかけかは覚えていないが「死ぬ」ということが、無性に怖くなったことがあった

珍しく塞ぎ込んでいるわたしに、昭和3年生まれ、間もなく92歳を迎える父が声をかけてくれた

「とぉちゃん、死んだらどうなるん?」

その問いかけに対する父の言葉は明快だった
「死んだらどうなる?死んだらそれまで!そんで終(しま)い」と笑った

そのあとに、一言二言、続けてくれたが、最初の一言の衝撃があまりにも多大で、続いた言葉の内容はさっぱり記憶にない

おそらくは、死んだらもうあとには何もない「だからこそ生きている間に何を成すかということが大切なんだ」というような話をしてくれたように思う

思い起こせば、この瞬間が、わたしが「生きることの価値」を求め続ける出発点だったに違いない

「生きている間に何を成すか」=「生きる価値を創生しろ!」というような、父というよりも、生を与えてくれた存在からの指令のように受け取り、そしてわたしは、その指令にずっと束縛されながらの人生を歩むようになったんだろうと思う

今から思えば、受信というか、解釈の仕方が稚拙だった

この言葉の真意は「束縛」ではなく「許可」であり「解放」であり「愛」なんだろうと、本年49歳を迎える今では感じ取っている

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?