ほぼボッチの窓辺@8話
しばらく休んでいたほぼボッチ
理由は。。。時間が無かった(笑)
おしえて中嶌さんの編集が難航しどうしで、実は今日も、ほぼボッチをやってる場合ではなかったりする
「ならなぜ書く?」と問われると困るが、今日はほぼボッチっぷりが炸裂したので、活きが良いうちに書いておこうと思う
今日の仕事、特に15時と18時の連続来店は、かなり厳しいものになると予測できていた
だからこそ、準備や休養、そして18時からの準備が間に合わない状態になることを想定して、お客様に予めその旨をメールで予告させてもらっておくなど、出来る限りのリスクヘッジを怠らなかった
そして15時からのお客様をなんとか予定通りに終え、18時からのお客様に18時に間に合いそうだという旨のメールを送り、全速力のあと片付け&準備にかかる最中、お客様からメール着信
「今日、ダメになったんだと勘違いしてビール飲んじゃった」
ちぃーーーーーん
リスクヘッジのために送っておいたメールが仇となり、昨夜から練りに練った段取りは水泡と化した
そしてほぼボッチは長考す
我ながらひどい凹みようだ
てか、こんなに凹まんでも良いだろ?と思うくらいの凹みよう
実際、みなさんどうよ?
そんなたいしたことではあるまいと思うだろう?
だが、今日の帽子は、異常な凹み方をした
これは、いったいどういう事なんだ?
長考しつつ、自己解析を行うほぼボッチ
これだけ凹むということは、今日の仕事にそれだけ価値を認め、このハードル超えずにしてなるものか!と気合を入れていたという事だろう
いや、しかし、それほどのことか?
いったいこれまで、どれ程の修羅場をくぐってきたと思っている?
店内で4名の来客を終え、22時から旅館に出張して3名のお相手をし、次の日も9時からお客様を迎えたことだってあった
それらと比べれば、別段たいしたミッションではなかったはずだ
なのに今日は、このハードルを超えるどころか、自分の判断が災いして、ハードルを事前に外すことになってしまったことが、異常に堪えた
それらの事柄はどう考えるのが自然であろうか?
ほぼボッチは考えた
あぁ、きっとこう言うことだ
帽子は幸せのハードルをとても低くすることが出来るようなっているのだ
かつてなら、もっと高いミッションをクリアしたのでなければ、充実感を得ることが出来なかった
今では、ほんの些細なことにも全力を注ぐことが叶うようになっている
道端の野草の美しさに見とれるかのように
今日のお客様に対して、全力を注ごう、全力で備えよう
そういう気持ちがとても強くなっているのだ
だからこそ、こんな些細なことで、大きく落ち込むことが出来る
そう、これは凹んだのではない!
落ち込むことが出来たのだ!
なんと素晴らしいことだろうかと思った
幸せのハードルが低くなるということは、有り触れた日常に満足する心が養われつつあるという事でもあろう
人間と言うのは、いかにも横着で傲慢に出来ている
30数億年とも数えられる遺伝子の情報を、僅か数十年で越えたかのようなふるまいをする愚かしい生き物だ
そのことに気付いて10年弱
ようやく、帽子にも、考えてではなく体感できるようになってきたのだ
今日はとても良い日だ
ありがとう
そして、最後に
些細なことで落ち込みがちな人へ伝えたい
あなた方は素晴らしい
人として、生き物として、本当に優れている!
帽子はそう思う
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