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"好きなこと"って、そんなに簡単にみつからない。


好きなことって、そんなに簡単にみつかるものなの?


よくさいきん、「好きなことを仕事にしよう」などという言葉をよくきく。だけれど、わたしがおもうのは、好きなことを見つけるのって、難しいってこと。

なかなか簡単に見つけられるものではないし、それが収益を生むなんて、奇跡にちかいことなきがする。

さらに言いたいのは、「自分が好きだと思っていること」と「毎日なんとなく続けてしまうもの」には大きな違いがあるということだ。


私の場合、「自分が好きだと思っていること」のなかには「それをやっている自分がかっこいいから」「社会的に価値のあることだから」「それをやっていると利益やメリットがあるから」といった、隠れた理由が入っている場合がある。

でも、それらのことを必死に続けようとするまで、そんな外的要因が入っているなんて、思いもしなかった。ただ単純に、自分が好きだと思っていただけだ。でも実際は、自分のしらないない間に、ちょっと格好良く見えるものやメリットがあるものを「すきなこと」として選んでいてしまったりする。


たとえば、わたしは「スイーツ、とくに生クリームを使ったケーキ」が大好きだったし、それをよくひとに話したりもしていた。ケーキばかり食べています、とか、ホールケーキをそのままフォークでたべます、とか。

たしかに、ケーキはすきだった。食べるは大好きだし、ホールケーキもたまにはたべる。だけどそれはどこか、「そんなに食べるなんて面白いよね」という他人目線が入っていたりしたことを、あとから気づいた。実際に毎日のように生クリームケーキをたべるわけではなかったし、ちょっとたべれば満足して飽きてしまうことが多かったから。


一方で、ひとにはいえないけれど、続いていることもある。数年前から、小説をかいては、時期があえばどんどん賞に送っていること。授業中やなにか時間があると適当な文章をどこでもかきだしてしまうので、わたしのノートや教科書は授業と全然関係な文章でうまっていること。そうゆうことは、ずっと続けていたけれど、はずかしくって、ひたかくしにしてきたことだ。ほんとうは、そんなことに、「すき」がたくさん詰まっているんだ。



こんなふうに、すきなものをさがすのに、遠まわりしてしまうひとも、おおいかもしれない。とくに「こんなふうになりたい」「こうあるべきだ」みたいな理想が高かったり、社会の目を気にしすぎてしまうひとに、多いかもしれない。

そんなときにいくら外側からみた「すきなことってなんだろう」をさがしても、でてこないことがある。「ちょっと格好いいし、やってみたいこと」がたくさんでてくるだけだ。そうじゃなくて、なんでもかんでもやったとに、「なんとなく続いてしまうもの」をさがしてみるんがいいのじゃないのかな。

それに、あなたの好きなことは、今現在は名前がついていないものかもしれない。「何て呼べばいいかわからない趣味」だって、きっとたくさんあるだろう。「これがすき!」って言い切る必要は、どこにもない。


すなわち、好きなこと、じゃなくて、「楽なこと、つづくこと」でもいいのだ。いろんなことをやってみて、「なんとなく続いていること」「残ったもの」がきっと、あなたの"すきなこと"だ。

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