良い消費をしないと、良いサービスがわからない
人によって価値観は違う。特にお金を持っている人と持っていない人のお金に対する味方も違うような気がする。だからこそ、求められているサービスがあったりするのに、サービス提供者からは気づけない事ってある。多分、たくさんお金を使って良い消費をしていないと、良いサービスや求められているサービスがなんなのかがわからないのかもしれない。
ワインをケチケチしていたら、お客さんに注意されてしまったこと
学生だった時、ちょっとだけ良いお店で働いていて、だいたい一人の夜の食事代の平均が2万円くらいの単価のお店だったと思う。だけれども当時の自分はとても生活を切り詰めていて、500円を何に使うかとても悩んでいるような生活の仕方だった。もちろん食事は、基本的には自炊だった。
そんな時、レストランにとあるお客さんがきて誰かをおもてなししていいた。何人かいる大きな席だったけれど、一番最初に「飲み物がなくなりそうだったら、どんどん新しいものを用意しておいて」と言われのだ。もちろん、言われた通りにする。
だけれどその時私は「出来るだけ注文する飲み物の量が少なくなるように」と勝手に忖度をして、テーブルの準備をしていた。もう少しで誰かの飲み物がなくなりそうでも、ギリギリまで新しいボトルを開けるのを待ってみたり、テーブルで2箇所にワインをおいておくのではなく、1箇所だけにして節約してみたり。自分としては、「高い飲み物だから、出来るだけ注文が入らない方が良いだろう」みたいな考えだった。
ところがそうすると、多分、彼らが飲みたいと思った時に飲めないという、ちょっとだけのタイムラグが生じる。多分それは、2分とか3分程度待たなくてはいけないような隙間の時間だった。私はもちろん、「それよりも安い方が良いでしょ」と勝手に思ってサービスを提供していた。
でも、お客さんは違ったのだ。丁寧な言い方ではあるけれど、「最初に飲み物は常に飲めるようにしておいて、って言ったよね?」と釘を刺されてしまったのだ。彼にとっては、飲み物の金額よりも、お客さんを待たせてしまう2・3分のない円滑なサービス方が価値があったから。
自分の価値観を押し付けないで、相手が欲しいものを提供する難しさ
上記の例は私が実際に「富裕層向けのサービスは富裕層的なお金の使い方について知っていないと提供できないのかもしれない」と思った出来事だった。確かに、そうだと思う。違う価値観があると知っていて、その相手に対して、欲しいものを提供するのは難しい。
逆に言えば、それができれば、すごく単価をあげるようなサービスになれるということだ。そして、単価をあげるようにするためには、求められているものを提供する、必要がある。
ただ、自分が経験したことのない事柄について、理解するのは難しい。大抵の場合、変な常識が働いてしまうからだ。今までの型にはまっていたりしてしまう。そして、多くの高級ホテルだったり、自分の生活レベルよりも上のところで、すなわち自分が買えないけれども売っている人はどうしても、そうしたギャップを感じやすいのではないだろうか。
お金を持っている人が少ないからこそ、お金持ち向けのサービスが難しい所以でもあるような気がする。そうゆう意味では、自分のお金の使い方に自覚的になって、ここぞいう時に良い買い物をしたり良い体験をしておくことが、こう言った幅の広さみたいなものを身に着けることのできる方法なのかなと思ったりしています。
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