負け組infpの隙自語

どうも、mbtiの負け組infpです。社会は外交的で(E型)、直感よりも感覚重視で(S型)、論理的で(T型)、時間や規律を守れる几帳面な(J型)ような人材を求めている。対して、内向的で(I型)、直感的で(N型)、感情的で(F型)、ルーズで大雑把な(P型)は、いわば社会に最も向いていない存在といえる。この社会で人として認めてもらう、いわば人権を確保するには過酷過ぎる。私は、学歴が無かろうが、定職につかなかろうが、無職だろうが、ニートになろうが、ホームレスとして雑草サラダを主食とした生活をしようが、どんな道を歩もうが、特に問題はないと思ってる。だが、社会がそれを許してくれないのである。私の人生なんだから私の好きに生きてもいいはずなのに、世間はそういう人間に、人にあらずの烙印を押すのである。私は人はどちらかというと好きなので、そのようなお世話になった好きな彼等たちに「コイツはこんな出来損ないなんだ…」というレッテルを貼らせてしまうことで彼等の期待を裏切り悲しい心情にさせてしまっていることに耐えられない。私は出来損ないなんじゃなくて、「安定」という選択肢を取ることができなかっただけなのに、社会的には安定を取らない人間は出来損ない認定されるのだ。私が知的ボーダーや発達じゃなかったら、多分普通レベルには勉強も職務もこなせると思うので、普通に大学合格して普通に就活して普通に就職しようと思うはずだ。私はそのような普通のレールを歩むことができないと分かりきっているから、安定を捨てた選択を選んだだけなのだ。というか、選ばざるを得なかった。安定していなくても、私は幸せだし、楽しい。「老後どうするんダー」とか「BBAになったら悲惨乙w」の意見は必ず出そうではあるが、老後の確実な安定とかかなりどうでもいい。老後の確実な安定のために今をやりがいもない上に終わりの見えない苦痛で一度しかない人生の大半を消費するぐらいなら、今をめいいっぱい幸せに楽しく生きたい。それで、運良く老後も幸せに楽しく生きれればまぁラッキーだし、ライフラインが止まった時には、ドブ水を啜ってでも生きようとするのもありだし、それでもダメなら野垂れ死ぬ決意はとうに決めているのでそれでもいいかなと思ってる。私はもう覚悟は決めた上で、勝ち組たちの競争に白旗あげて、違う土俵でより良い進路を模索しながらも築いている。どんな私でも私であることには変わりないんだから、いくら安定や社会的身分があろうが向いてない事を強いて結果も精神も最終的には全てを壊滅させるだけなので、安定や社会的身分がまだなくても向いていることをやらせてほしい。


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