自分がこの世からいなくなったら

自分が死んでこの世からいなくなったらどうなるのか。
まず、自分の存在を認知している人も時が経つにつれていなくなり、最終的に誰も自分の存在を認知している人間はいなくなる。いつか誰も私のことを知らない時代がやってくる。 私がこの世に存在していたことなんて誰も知らない世界になる。この地球に生きているみんなが私の存在を知らなくなったら、私が生きていた事実なくなってしまうも同然だ。いわば、私がこの世に存在してた意味がないということ、極論生まれてきた意味が特にないという証明になってしまうのだ。

しかも、自分が死んでも人類の文化的活動や社会情勢の変化は続くのに、自分はそれを知ることができない。世界の行く末を見続けることができない。自分を取り巻く世界がどうなっているかもわからない時が、認知もできなくて意識もないのに、何百年何千年と永遠に終わりなく刻まれていくなんて怖すぎる。
怖すぎるという私の感想は、まず自分を取り巻く環境によって自己存在は確立するのではないかという考えに基づいている。例えば、私は家族がいるから〇〇家の〇〇ちゃん(本名は伏せ字)、学校に属しているから〇年〇組の〇〇(名字は伏字)さん、ネットコミュニティでアイドルとしてアカウントをアクティブさせているかられこちゃん、など外的環境と自己が結びつくことでこの世に存在していることがソースありの事実になるのだ。
この考えを前提にすると、自分を今まで取り巻き続けていた世界、いわば自己存在を確立してくれたものがどうなっているのか、人類の文化活動は発展しているのか、それとも滅亡して人類はいなくなっているのか、そもそも地球という惑星自体が隕石衝突やらなんかでなくなっているのではないかなどという、自分の生命活動の全てありながら自己存在を支えてきた外的環境がどうなっているかを知ることができないということは、その環境に参加してない上に、それがどんな世界であるのか目はないから認知できないし、肉体もないからその世界での活動もできない自分は何者なのか?といった疑問が出てくる。自分が何者か証明できるものが何もないまま自分の知らないところで以前はずっと知り得ていたのにもう二度と知ることのない世界が目まぐるしく変化し続けているのだ。今まで何十年と自分の存在を支えて確立させてくれたもの、いうならば自分と表裏一体であるものの存在を知ることができなくなるのはかなり寂しい。そして、自分はそれを知らないということすらも認知できなくなってしまう。自分だけが過去に取り残されたただの遺物のようだ。実際そうなのだが、その遺物はアンティークとしての存在意義もないし文化遺産としての存在意義もない。存在意義もない上に・外的環境である世界から切り離されたら、自己存在を過去に支えてくれた存在はもう過去に自分を支えてくれたという事実のソースがなくなってしまうのだ。世界から自分を永遠と分断され続けて、世界の行く末を知らずにただ意識も形もないまま存在することが(一般的には死んだら存在しないとされているので、これを読んでる読者的にはそもそも存在してないんじゃね?と思うかもしれないが一旦そのツッコミは置いといてほしい)不安を通りこして、もはや恐怖の域にまで達している。とても怖い。
 

めちゃくちゃ要約すると自分の存在を認知してくれるものがなくったら、自分の存在がなくなってしまうことに私は恐怖を感じている。自分を包括してくれるものがないと不安になっちゃうのだ。

そこで私は悪足掻きとして、自分が死んだ後も自分がが生きていたという証を残すため、自分の存在意義を世界に認めさせるために(これは世界への復讐という意図もあるが、その話はのちに書くかもしれない)、少しでも世界との繋がりを持っていたいために、アート活動なりアイドルや被写体モデル等や今回のミスフラのグラビア等の芸能活動なり、または全く別の何かの自分の好きなことや楽しいことや挑戦したいものに該当するもので一旗あげてやろうと目論んでいるのだ。(しかし、有名になりたいわけではない。有名にならなくても自分が満足できるゾーンに達することができたらそれは上出来なので。)
私は本気で考えてる。

ちなみにこのテーマは、小学生の時は寝つきがめちゃくちゃ悪かったので、眠れるまで暗闇の中を蠢いてる小さな無数の楕円形の集合体の流れを目で追ったり、ひたすら数を数えたり、夜中にベットの中でいつも考えごとをしていた時のテーマのひとつだ。自己存在が消滅してしまう恐怖のあまり毎度毎度私は布団の中で半泣きになっていた。7.8歳の子供がそんなことを考えて、そんなことを考えた結果、恐怖に陥り泣いていることなど親は思ってもいなかっただろう、私がそういうことを考えている時はいつも私の横で既にいびきをかいてぐっすりと眠っていた。
今でも眠れない時はこの考えが半年に一度ぐらいのなんともいえない微妙な頻度で無意識に頭に浮かんでくるのだ。半泣きはしないが今でもまあまあゾッとする。


意識や形や肉体がなくなってしまっても、世界で過ごし終えた後に自己のなんらかのアイデンティティを置くことができる場所があればいいのにと思う。


※この考えは2023年6月時点での考えであるため、今後大いに変わる可能性があります。というかこれからあと何十年で沢山の経験や知見に触れていくんだから変わってなきやばいと思う。現状維持と現状以下は絶対嫌だ。せっかく人間として生まれてきたからには、死ぬまでに一ミリでも多くのものに触れて、経験して、自分のものにして、常に自分史上最上級の自分でいたいので。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?