鯵五郎

SP盤時代の歌謡曲や、深夜アニメ、Nゲージなどが好きな中年後期のオッさんです。何卒宜し…

鯵五郎

SP盤時代の歌謡曲や、深夜アニメ、Nゲージなどが好きな中年後期のオッさんです。何卒宜しくお願いします。

最近の記事

観艦式 (帝国海軍軍楽隊)。

佐藤清吉指揮、帝国海軍軍楽隊歌唱伴奏による軍歌「観艦式」。ラベルには池田敬之助海軍大佐作詞、海軍特務大尉佐藤清吉作曲とあります。ネーバル・ホリデー(海軍休日)と呼ばれていた軍縮であっても、世界第三位の戦力と陣容を誇っていた、大日本帝国海軍華やかりし頃の一曲です。海国日本として今以上に世界にアピールしていた昭和一桁の頃、東京や神戸では年に一度の大々的な港祭りが開催されていましたが、天皇の御前にて戦艦や巡洋艦などの各種主力艦艇を披露するには格好のイベントであり、云うまでもなくその

    • 今宵も空に (松平晃)。

      今年も早残り2ヶ月余り。季節も漸く秋本番であり、こんな夜長はしんみりした歌の一つも…だなんて気分になるものです。そんな中から今夜は、松平晃の歌う「今宵も空に」を。明治44年6月に佐賀県に生まれた松平は、本名を福田恒治と云いまして、長じて音楽の道に入るべく上京後は東京音楽学校に身を置いていました。不況の影響で実家の懐が悪くなり、自活の道を選ばざる得なくなった彼は、先輩の増永丈夫=藤山一郎の紹介で日東レコードのテストを受け、見事に合格。殆どアルバイト同然の気持ちで歌手活動を開始し

      • 愛の雷雨 (島村弘治・都能子)。

        島村弘治と都能子の歌う「愛の雷雨」。高橋掬太郎作詞、鈴木哲夫作曲で、大映作品「雷雨」の主題歌です。監督は田中重雄で、出演は若原雅夫、小泉幹治、折原啓子、平井岐代子などで、約一時間半程の短編でした。粗筋は主人公の元技師である山上が満州から復員、嘗ての恋人の光子に逢いに行くも、自身は既に戦死したと誤って伝えられていた為に、彼女は大学教授と結婚してしまった身。失望した山上は仕方なく露天商の友人宅に身を寄せる生活を送りますが、今度はそこの妹の初枝に想いを寄せられます。一方で戦死した筈

        • 好いてゐたのに (上原敏)。

          上原敏の歌う「好いてゐたのに」。渋谷白涙作詞作曲で、人気歌手として売り出した敏さんの数々のナンバーの中でも、忘れがたいナンバーです。昭和11年に新橋喜代三と歌った「月見踊り」でデビューした上原敏は、音楽学校卒の洋楽系歌手とは一線を画す歌い方で人気を得た最初の世代の一人。当時、小野巡や音丸など市井で暮らしていた人々の中からレコード界入りする歌手が次々と現れていたので、上原もその流れで発掘されたのでした。勤務先だった“わかもと製薬”の野球部に所属していた時に、作曲家秩父重剛の知遇

        観艦式 (帝国海軍軍楽隊)。

          紺屋高尾の唄 (音丸)。

          音丸の歌う「紺屋高尾の唄」。深草三郎作詞、明本京静作曲とありますが、深草とは明本が作詞をする際の変名です。紺屋高尾とは元々は落語の演目であり、さらには浪曲化されてより有名になるのです。物語は江戸時代、神田紺屋町の染物屋の奉公人久蔵は遊んだ事のない大変真面目な男でしたが、ある時町中で見た高級花魁の高尾大夫に一目惚れ。主に大名や豪商を常連とする花魁は高嶺の花であり、久蔵は悲嘆に暮れます。せめて一晩でもと、彼は以降三年掛けて花代の十両を貯め、金持ちのフリをして御座敷へ。憧れの高尾を

          紺屋高尾の唄 (音丸)。

          田舎のバスで (中村メイコ)。

          今日は流行歌やCMソングで大活躍した作曲家、三木鶏郎の命日です。今から30年前、NHKラジオを付けると三木の訃報が流れており、急遽特番に差し替えに。その時に流れたのが「田舎のバスで」でした。そして歌った中村メイコが電話出演し、追悼のコメントを述べておられたのを覚えております。三木鶏郎は本名を繁田裕司と云って、大正3年1月に東京市麹町に生まれました。父親は法律家であり、息子の鶏郎も勉学に励んで有名校から帝大に入るなど、地頭の良さを発揮します。戦争中は応召され千葉の部隊に配属され

          田舎のバスで (中村メイコ)。

          海のパラダイス (中野忠晴・二葉あき子)。

          今日は稀大の作曲家、服部良一の117回目の誕生日だそうです。と云う訳で彼の楽曲から、今夜は中野忠晴と二葉あき子の歌う「海のパラダイス」を。西岡水朗作詞で、夏の行楽シーズン向けに書かれた一曲です。昭和11年に揃ってコロムビア入りした服部良一と二葉あき子は、夏に出した「月に踊る」を皮切りにタッグを組み、またモダンな楽曲を得意とする中野忠晴も、服部作曲の「東京見物」や「当世しゃれ男」を入れて其々手応えある楽曲となりました。中野は新人だった二葉をよくリードし、他にも「そこだそこだね」

          海のパラダイス (中野忠晴・二葉あき子)。

          浮草の宿 (春日八郎)。

          春日八郎の歌う「浮草の宿」。服部鋭夫作詞、江口夜詩作曲で、戦後派男性歌手として大活躍した春日八郎の全盛期の一曲です。本名は渡部実、大正13年生まれで故郷は福島県会津坂下町でした。就職も兼ねて上京し、東洋音楽学校に学んだ後に応召されましたが、幸運にも台湾で終戦を迎えます。復員後、一度は地元に就職するも歌手への夢断ち難く、キングレコードのテストを受けて合格となりました。しかしすぐにデビュー出来る訳でもなく、せっかく入れた歌がお蔵入りになるなど苦労を重ねる羽目に。そして昭和27年に

          浮草の宿 (春日八郎)。

          カリオカ (小林千代子)。

          小林千代子の歌う「カリオカ」。原町みつを作詞、紙恭輔編曲で、原曲は1933年公開の米RKO映画「空中レビュー時代」の主題歌です。本作はソートン・フリーラント監督がメガホンを取り、主演はメキメキと頭角を表してきたダンシングスター、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースのコンビに加えて、ドロレス・デルリオやジーン・レイモンドらが助演しました。本作はブラジルのリオデジャネイロを舞台にしており、タイトルにある様に飛行機を用いた特撮も交えた、一時間半のミュージカル・コメディでした。

          カリオカ (小林千代子)。

          天国に結ぶ恋 (徳山璉・四家文子)。

          徳山璉と四家文子の「天国に結ぶ恋」。“悲恋大磯哀歌”とある此の歌は、実際に起きた心中事件を題材にした映画主題歌であり、作詞の柳水巴は西條八十、作曲の林純平とは松平信博の変名でした。昭和7年5月9日、神奈川県大磯町にある小さな山林にて若い男女の遺体が発見されます。検死の結果、二人は学生であり死因は服毒死である事が判明し、動機を調べるべく捜査が開始されるのですが、またも奇妙な事件が発生。なんと保管してあった女性の遺体が一時的に姿を消してしまい、何とその犯人は土地の関係者である事が

          天国に結ぶ恋 (徳山璉・四家文子)。

          美しき南の海 (藤山一郎)。

          藤山一郎の歌う「美しき南の海」。藤浦洸作詞、平川英夫作曲で、戦争中に書かれた南方歌謡曲です。以前出た復刻アルバム「日本モダンタイムスシリーズ」の藤山一郎編にて、瀬川昌久氏が言葉を尽くして絶賛されていたのが此の歌であります。「ビング・クロスビーが、ガイ・ロムバード楽団をバックに歌っている様な気分にさせてくれたのが忘れられない…」と、瀬川氏を述懐せしめた曲とはどんな歌なのでしょうか。戦争が長期化すると当然ながら物資が不足し、レコードも物品税が課せられて容易に買えるものではなくなっ

          美しき南の海 (藤山一郎)。

          幌馬車の唄 (和田春子)。

          和田春子の歌う「幌馬車の唄」。山田としを作詞、原野為二作曲で、日本では短命に終わったパルロフォンレコードから出た新譜では、最大の売り上げを誇った一曲です。同社は前々世紀末にドイツで設立された歴史ある会社であり、後に英国コロムビアに買収されます。日本では昭和4年にイリス商会の手で立ち上げられて、昭和8年までほぼ4年間存続しました。途中、早々に店仕舞いした日本オデオンの音源を引き継いで、クラシックから純邦楽に至るまで幅広いジャンルのレコードをリリースし続けたのです。日本ではコロム

          幌馬車の唄 (和田春子)。

          今宵はいかが (奥田良三)。

          奥田良三の歌う「今宵はいかが」。サトウ・ハチロー作詞、山田榮一編曲、彼が歌った外国映画主題歌の一つです。原曲は1931年のオーストリア映画「今宵こそは」の主題歌で、主演は歌手でもあるヤン・キープラ、マグダ・シュナイダー、オットー・ワルグなど。監督はアナトール・リトバク、音楽と主題歌はミッシャ・スポリアンスキーが担当しました。当時、オーストリアの映画はドイツのウーファー、或いはフランスのトビスなど会社を経由して、日本へと伝わって来ました。音楽と芸術の都たるウィーンを擁する同国の

          今宵はいかが (奥田良三)。

          センチメンタル・キッス (渡邊はま子)。

          渡邊はま子の歌う「センチメンタル・キッス」。サトウハチロー作詞、仁木他喜雄作曲で、ライトなブルースの旋律で書かれております。長い戦争が終わり、ようやく歌の世界にも平和なムードが溢れて来たのですが、意外や流行歌などのレコード検閲は続いていて、そのチェックする相手が内務省からGHQに変わったに過ぎませんでした。それまでは厭世的で時局に背く様な感じの歌、何よりも米英的な歌が取り締まれていたのですが、一転して其れ等の歌が息を吹き返して続々と姿を見せ初めるのです。さて此の歌にもある「セ

          センチメンタル・キッス (渡邊はま子)。

          どちら向いても=街のSOS (二村定一)。

          二村定一の歌う「どちら向いても」。竹内草路作詞、八坂一郎作曲とありますが、この歌は元々「街のSOS」と云うタイトルで発売されていて、販売元の彌生レコードとは東京のマイナーレーベルである太陽の後身です。此の独立系レーベルはレコード一枚を一円とし、流行歌以外は落語や漫才、浪花節や民謡など大衆向けのレパートリーを主としていました。昭和7年から新譜のリリースを開始するのですが、その販売先はレコード店ではなく銀座などの繁華街に並ぶ夜店であり、また資金力からして大した宣伝も出来ない為、流

          どちら向いても=街のSOS (二村定一)。

          噫井上中尉夫人 (丸山和歌子)。

          丸山和歌子の歌う「噫井上中尉夫人」。島田芳文作詞、近藤政二郎作曲ですが、このトリオでの時局歌謡は大変珍しいのではないかと思います。島田は「丘を越えて」や「野分の唄」など、青春歌謡や抒情歌がメインでしたし、昭和一桁には数多の録音を残した丸山も日華事変勃発の頃にはレコード界からは身を引いています。勿論この歌はそれよりも前の録音で、夫の出征に際して後顧の憂いなき様にと自刃した若き妻を讃える内容です。昭和6年12月12日、大阪に在る陸軍歩兵第四師団第三十七連隊付士官井上清一中尉の妻で

          噫井上中尉夫人 (丸山和歌子)。