仏教が日本に伝えられた経路

問題

難易度: ★★☆☆☆
仏教はどのような地域や都市をたどって日本に伝えられたのか,簡潔に述べよ。(30字以内)

配点: 2点 愛知教育大学(2011)

採点基準

一見誰でも解けそうですが、知識がなければ点数にならない問題です。しっかりと得点できたか確認してみてください 🤓

・(大乗)仏教が中央アジアから広がったことに触れていれば +1点
・朝鮮の百済から日本に仏教が伝えられたことに触れていれば +1点

解説

マウリヤ朝の情勢から考える

まずマウリヤ朝期の情勢を考えてみましょう。当時はアレクサンドロスのメソポタミア遠征により中央アジアまでギリシア系勢力が迫ってきていました。その外圧に備えるためにマウリヤ朝という統一王朝が生まれた、ということを抑えてください。マウリヤ朝はガンジス川下流域に生まれた王朝で、中央アジアからは遠く離れていました。なので中央アジア(バクトリア地方)まで勢力を拡大することが難しく、ギリシア系勢力が幅を利かせていました。故に、マウリヤ朝はインドから中央アジアを経由した貿易導線が確立せず、南に勢力を伸ばすことを選んだのですね。

1〜3世紀に生まれたクシャーナ朝と、同時期の仏教

1世紀ごろ、クシャーナ朝というギリシア系王朝がインドに誕生します。この王朝を支配していたのはアーリア系民族ではなくギリシア系民族でした。彼らはクシャーナ族と呼ばれるバクトリア地方を中心に活動していた民族なのですが、中央アジアからインドに進出し、王朝を建てただけあって、中央アジアを起点とした貿易にも精通していました。マウリヤ朝期とは違い、南印度よりも中央アジアのほうが見通しがよかったのですね。

そして当時の仏教は大乗仏教が拡大していた時期でもあります。紀元前後に大乗仏教が興り、多くの人が信仰するようになっていました。もともと大丈仏教を信仰する人々は、他者の救済も目的の一つなので、多くの人にその思想を伝えようと努力しました。ゆえにクシャーナ朝下の仏教徒はクシャーナ族が持っている貿易ネットワークを用いて外界に出て、大乗仏教の訓えを広める活動をしたのですね。なので、中央アジアから東アジアへとその訓えが広がっていきました。

もともとクシャーナ族は東アジアにいた民族だったので、西側に進むよりは東側のネットワークのほうが強かったため、大乗仏教を信仰する仏教徒らも東へと進んだのです。

朝鮮から日本へ

この問題は「日本に伝えられた経路」を問うていますね。なのでもう少し解説をします。結論から書くと、日本に(大乗)仏教を伝えたのは百済です。日本史を勉強した受験生なら知らなきゃいけない基本事項ですね。当時の日本はまだ文明に明るくなく、朝鮮は隣国が大国中国だったこともあり、相対的に日本よりも文化が発展していました。日本は当時の先進国朝鮮から様々な技術・文化を教えてもらう立場だったのです。そして当時日本が最も交流があった朝鮮国家が百済でした。6世紀ごろ、その百済から仏教は伝えられ、日本で定着しました。

解答例

模範
中央アジアから中国を経由し、百済から日本に伝わった。(26)

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