前6世紀までのバラモン教とは

問題

難易度: ★★★☆☆
前6世紀までの古代インドにおいて,政治・社会の支柱であったバラモン教とは何か,50字以内で説明せよ。

配点: 3点 北海道大学(1997)

採点基準

基本的な事項を並べていれば2点はもらえる問題です。最後の「ヴァルナの維持」をかけた受験生はしっかりと用語集を読み込んでいる証拠です!

・アーリア人が成立させた宗教であることに触れていたら +1点
・ヴェーダを聖典としていることに触れていたら +1点
・バラモン層は、ヴァルナの維持に務めたことに触れていたら +1点

解説

前6世紀までのバラモン教の特徴

前12世紀に『リグ=ヴェーダ』が形成され、前1000年ごろから鉄技術が導入されたことにより農業生産性が上がり、人口が増え、都市が生まれ、社会階層が複雑化したことは前期・後期ヴェーダ時代の違いで詳しく説明をしました。ここでは、前6世紀までにバラモン教がどのような特徴を持ったのか?に重心を置いて解説していきたいと思います。

前6世紀までに、バラモン教はヴァルナ制を導入し、身分による支配を確立させました。バラモン・クシャトリア・ヴァイシャの上位3階層がアーリア人により独占され、下位のシュードラは主にドラヴィダ系先住民が担っていました。そしてシュードラはバラモンの祭礼に参加することすら許されていませんでした。よって、前6世紀までのバラモン教とはアーリア人のためにアーリア人が作り、インドを支配するための宗教、と解釈してもよいでしょう。

バラモンの役割

もともと部族制だったアーリア民族の族長は、人口増加の影響もあり、やがて王族として村や都市を治めるようになりました。この王族(や貴族)をクシャトリア層と呼びます。この説明ですと、教科書でバラモン層はクシャトリアの上に位置する、という説明が腑に落ちませんね。もともとバラモン層の人々は王族とは別の宗教的権威を持った専門職部隊でした。しかし、宗教による統治が最も効率が良いと考え、クシャトリアとバラモンの間で、「人種の違い(肌の色の違い)を利用して、ヴァルナ制を作ろう。このヴァルナ制に従った社会を作って、世の中を治めよう」という計画が進みました。このとき、クシャトリアとバラモンはあくまで「同列の身分」だったのですが、やがてバラモン層の人々はクシャトリアが儀礼を真似できないように宗教的儀礼・知識を複雑化させ、さらにバラモン一族による宗教的権威の独占を図るようになりました。段々とバラモンのほうがクシャトリアより上位の地位になり、結果としてバラモンが社会の仕組みを構築する力を手に入れるようになりました。ゆえに、前6世紀にはバラモンはヴァルナ制を維持し、法律や倫理を規定することに注力しました。

解答例

アーリア人が作った宗教で、ヴェーダを聖典とした。ヴァルナ制を維持するため、バラモン層が規律を定めた。(50)

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