パナマ運河開通までの経緯

問題

難易度: ★★★★☆
アメリカ合衆国はセオドア=ローズヴェルトの時代にカリブ海政策として棍棒外交を行なった。その例としてパナマ運河開通施策が挙げられる。これに関して、アメリカがパナマ運河開通までに採った政策について,70字以内で説明しなさい。

配点: 4点 オリジナル

採点基準

・コロンビアからパナマを分離独立させたことに触れていれば +2点
・パナマに運河建設権を認めさせたことに触れていれば +1点
・1914年に開通したことに触れていれば +1点

解説

棍棒政策の一例としてパナマが挙げられます。東京書籍を使っている受験生は対応できたかと思いますが、他教科書を使っている受験生には難問にみえたかもしれません。

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アメリカの棍棒政策

セオドア=ローズヴェルトの時代に、アメリカはカリブ海政策の一環として棍棒政策を打ち出しました。「棍棒を手に、話はおだやかに」と言われる通り、従わなかったから武力交渉するぞ、という意図を含んだ交渉をカリブ海の諸国と行ないました。

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当時の情勢

当時のアメリカは東海岸に駐屯させている軍艦を西海岸に移動させるためには南アメリカ大陸を周回する必要があったため、なんと90日ほど、軍艦の移動にかかりました。

米西戦争後、植民地となったフィリピン・グアム・ハワイにもすぐに向かうことのできる軍艦を用意するため、なんとかしてパナマ運河を開通させて軍艦を西海岸に移動させるためのルートを確保したかったという時代背景があります。

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パナマ運河開設に至るまで

そこでアメリカはコロンビアに「パナマ運河を開設するから、その管理権をくれ」という旨の要望を出しますが、コロンビアはそれに反対しました。当時、パナマはコロンビアの一部だったため、アメリカはコロンビアと交渉したことに注意してください。

断れたアメリカは、強引にコロンビアからパナマを分離独立させ、パナマにパナマ運河周辺の土地に関して永久租借権を要求・獲得しました。これが棍棒外交の一例としてよく取り上げられる内容ですね。

かくして、パナマ運河建設に着手できたアメリカは開通に10年かかり、1914年に無事開通し、当初の目的を果たせました。

解答例

アメリカは運河建設を認めないコロンビアからパナマを分離独立させ、パナマに運河建設権を認めさせた。1914年に運河は開通した。(62)


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