バベルの塔を壊していない神様
(バベルの塔を建てていないニムロデのつづき。)
さて、なぜ神様がバベルの塔を壊したという伝承が生まれたのか?
聖書において、神様は地上の様子を見に降りてきて、人々の言語を乱しただけである。一応、その個所を読んでみよう。
そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りてこられた。
主は仰せになった。「彼らがみなひとつの民、ひとつの言葉でこのようなことをしはじめたのなら、今や彼らのしようと思うことでとどめられることはない。さあ、降りていって彼らの言葉を混乱させ、互いに言葉が通じないようにしよう。」
こうして、主は人々をそこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。
(創世記11章5~8節)
言葉が通じなくなった人々が作業をやめたので、町は完成しなかった。それだけである。神様はなにも破壊していない。
しかし、たしかに現在、塔は残っていない。
どこかの時点で破壊されたからである。
シュメールの地には巨大な神殿の遺構がいくつか残されている。修復された神殿や再現図ではそれらは箱型でさほど背が高くないように思えるが、あれはあくまで想像である。
古代人の力量をやたらと低く見積もるのはよくあることだが、出雲大社のように古代の神殿のほうが現在のものよりずっと立派であったという伝承が正しいことが一部証明された例もある。
だから、シュメールの神殿も、現代の考古学者が想像するよりはるかに壮大な建造物であった可能性は大いにあるのだ。
シュメールの人々は神を崇めるのに熱心であった。だから、心血をそそいで素晴らしいものを作り上げていただろうと思う。
そして、シュメールの神殿に一番近い建造物は、ひょっとするとインドの寺院ではないだろうか。
シュメールの神殿やバベルの塔の土台と思しきものは四角なので、塔も四角であったと考えられる。
この形状なら、天に頂がとどく塔を建てようとした意気込みが少しは感じられるだろう。
ジッグラトと検索して出てくる画像は廃墟か一部復元か想像図のどれかである。下の写真は神殿の基台部分のみを復元したものにすぎない。
よくある復元想像図はシンプルな装飾で、大きさもこの基台に毛が生えたくらいの代物でかなり控えめだが、実際はこうだったかもしれない。⇩
これなら天にとどきたい意気込みが感じられる。
せめて、これくらいの迫力がないと伝説にもならないだろう。
実際のところは写真も設計図もないのでわかりようもないのだけれど。
それで、塔はいつ、何によって破壊されたのか?
建設途中で放棄されたバベルの塔だが、その後、初期の権力者が完成させた可能性は大いにある。それがニムロデであったかもしれないし、違うかもしれない。未完成のまま建っていたとも考えられる。
メソポタミアの都市は戦乱のたびに破壊と再建が繰り返されてきた。
では、バベルの塔は戦乱によって破壊されたのだろうか?
───答えは、おそらく否である。
ローマ時代に『ユダヤ古代史』を著したフラウウィウス・ヨセフスは、塔は風によって倒されたと記述している。
聖書には含まれない『ヨベルの書』でも、やはり神が大風を送って塔を倒したとしている。
塔は大風によって倒れた。
シュメールの歴史を鑑みれば、この伝承は信ぴょう性が高い。
⇒⇒(『シュメール』ってどういう意味?)
今から4千年ほど前、シュメールを統治していたウル第3王朝を大嵐が襲った。
この時の被害は甚大で、建物は倒壊し、小屋は吹き飛び、農地は海水で覆われた。
バベルの塔を倒壊させた大風というのは、この時の嵐のことではないだろうか。
シュメールの人々が大嵐は神の天罰であると考えたとしてもおかしくはない。歴史上、いや、現在でもそのように考える人々は多いのだ。
実際、シュメール語の詩の中で、嵐は神によるものとして歌われている。
……というわけで、聖書には神様がバベルの塔を倒したという記述はない。後世の「神が大風を送って塔を倒した」という伝承は、ウル第3王朝の時にシュメールを襲った非常に大きな嵐を人々が神罰と捉えたため、嵐で倒壊した塔も神様によって倒されたと語り継がれていったのではないか。
という話。
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