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「概説 静岡県史」第131回:「地方財政の戦時化」

3月になりました。今年はうるう年で2月は29日まであったにもかかわらず、「1月は行く、2月は逃げる」のごとく、あっという間に3月になってしまったという気がします。
 静岡県では3月1日が公立高校の卒業式でしたが、全国的にも同じような時期に高校の卒業式があるのでしょうが、卒業された高校生の皆さん、ご卒業、おめでとうございます。今の高校生は100歳まで生きると言われるように、むしろここからが長いわけで、高校卒業は新たなスタートです。皆さんのご活躍を心から期待します。
 それでは「概説 静岡県史」第131回のテキストを掲載します。

第131回:「地方財政の戦時化」


 今回は、「地方財政の戦時化」というテーマでお話します。
 1937年(昭和12年)7月に勃発した日中戦争は、本格的な総力戦の様相を帯びていたため、政府は9月に「昭和十三年度地方予算編成に関する通牒」を発して、新規経費の抑制と既定経費の節約などを指示し、同時に「地方債抑制に関する通牒」を発して、国の補助のあるもの、および国防上、時局上緊急のものを除いて地方債発行を抑制すべきことを指示しました。つまり、戦争遂行とそれを支える生産力拡充のために資源、資金を総動員する必要から、政府は地方財政の緊縮を求めたのです。
 このように政府の指示は、県を通じて市町村に通達されていきました。例えば38年9月の「地方債抑制に関する件依命通牒」では、鉄、木材その他の重要物資の節減、消費節約の趣旨に基づいて抑制すべきこと、緊急の必要性の基準などが細かく指示されました。
 さらに、戦時経済を支えるために、あるいはそれを阻害しないように、毎年度の予算編成、予算執行に対して様々な指示がなされていきました。例えば「昭和十四年度予算実行方に関する件通牒」では、官庁需品の購入にあたっては物価政策との関連を考慮すべきこと、輸入品の使用などによる海外払いの増加は極力抑制すべきこと、重要物資の使用を節約すべきことなどが通達されました。
 戦時体制下の地方財政は、一方で応召吏員補充費や防空関係費、労務需給調整費など戦争関係経費の登場と増大により、経費の内容で戦時色を強めていきました。反面、政府の政策意図としては、経費の縮減により国策への資源の総動員の条件を整えることが重要な課題となりました。この2つの課題が相矛盾しながら推移するところが、戦時地方財政の特徴です。
 昭和恐慌とその回復過程において、都市と農村の財政力格差の問題が深刻な社会問題として意識されるようになります。1932~34年(昭和7~9年)にかけて実施された時局匡救事業は、農村へ厚く補助金と低利資金を供給したため、実質的な財政援助機能を果たしていました。しかし、その打ち切りを契機として、改めて問題解決への道が本格的に取り組まれることになります。
 内務省は、32年8月に「地方財政調整交付金制度要綱案」を発表し、国税の一定割合を「資力薄弱団体」に厚く再配分する制度を提唱していました。県内新聞も内務省の動きを刻々と伝えており、県民の関心の高さを示しています。34年8月15日付け「静岡民友新聞」では、「地方財政負担平均化/政府から調査命令/英国の例に倣ひ地方財政調整交付金制度」などの見出しで報じ、「来年度より匡救事業は中止され臨時国庫負担金が廃止される今日、右交付金の公正な割当てによる救済を唱へたる者の水を望むが如く待望している」と記事を結んでいます。
 結局、町村を対象とした臨時町村財政補助金制度が36年に成立、翌年には全地方団体を対象とした臨時地方財政補助金制度に再編されました。臨時地方財政補助金は道府県財政補助金と市町村財政補助金からなり、いずれも課税力の弱い地方団体に厚く配分される仕組みとなっていました。しかし、配分された補助金は、戸数割、雑種税の減税など、上位団体によってその使途が厳しく監視されました。この制度は恒久財源を持たない臨時措置でしたが、40年の税制改革において、その一環として本格的に確立することになります。
 政府は、国内体制整備の一環として地方団体の負担均衡化や地方財政調整制度の確立を目指しており、それを実現させたのが1940年(昭和15年)の税制改革です。
 国税では地租、営業税が減税される一方で、所得税の拡充、法人税の独立などによって大衆課税化と税収の弾力性が目指されました。従来、県税だった家屋税は国税に移管され、地租、営業税とともに還付税として道府県に還付されることになりました。また、所得税、法人税の17.4%と入場税、遊興飲食税の50%が配付税として道府県に62%、市町村に38%の割合で再配分されることになりました。配付税は、地方団体の財政力格差を是正する機能を持っており、これと還付税を併せて地方分与税と呼びます。これにより恒久財政に支えられた本格的な地方財政調整制度が確立しました。
 また、国費、地方費の負担区分にも重要な変更がありました。「義務教育費国庫負担法」が新たに公布され、義務教育教員給与は府県支弁の経費となり、その半額を国庫が負担することになりました。「市制」・「町村制」以降、長期間にわたり義務教育の教員俸給負担で圧迫されてきた市町村財政は、これでようやくその負担から脱することになりました。さらに、府県、市町村の租税体系も大きく変化しました。この制度変更を受け、小浜八弥知事は、40年8月に臨時県会を招集し、必要な条約改正、更生予算を提案しています。
 戦時期の財政構造は、1940年(昭和15年)の税制改革を挟んで、その前後で大きく異なります。まず、県税は国税付加税と独立税で構成され、国税付加税は地租、家屋税、営業税、鉱区税、砂鉱区税の各付加税からなります。また、家屋税は経過措置として、40・41年度は道府県税とされました。独立税は、段別税、船舶税、自動車税、電柱税、不動産取得税、漁業権税、狩猟税、芸妓税とされ、都市計画税は目的税として別扱いになりました。特別地税は廃止になり、従来の雑種税の一部は市町村に移譲され、雑種税という名称は廃止されました。その結果、改革前には県税35%前後、財政調整金(臨時地方財政補助金)60%という構成が、県税10%台、財政調整金(地方分与税)20%前後という構成に変化しました。戦時体制構築のための国庫補助金の比率や義務教育費俸給の国庫下げ渡し金の比率も上昇しており、総じて国からの財源への依存度合が著しく高まりました。
 一方、歳出面は、40年を契機に支出規模が著しく増加しています。地方財政緊縮政策により、県財政支出は36年の約1971万円から37年の約1606万円へと減少しました。しかし、義務教育の教員俸給が県負担となったこと、日中戦争の激化、太平洋戦争への突入によって戦時関係費が増大したことで支出が増大に転じました。なお、戦時関係費とは、軍事援護費、生産力拡充費、交易振興費、労務調整費、配給調整費、転失業対策費、移植民事業費、国民動員費、銃後対策諸費、健民修錬施設費、東海地方行政協議会費、金属回収諸費、皇国農村建設促進費などです。いずれにしろ、太平洋戦争以降のインフレも手伝い、県財政支出は増大を続けていきました。
 市町村財政の構造も、1940年(昭和15年)の改革で大きく変化しました。市町村の税目は、国税付加税、県税付加税、独立税に分類され、国税付加税は県と同じ税目、県税付加税は県独立税に賦課されるものです。独立税として認められたのは、市町村民税、舟税、自転車税、荷車税、金庫税、扇風機税、屠畜税、犬税で、戸数割は廃止され市町村民税に再編されました。市には、目的税として都市計画税の一部が県税から移譲されました。
 具体的な財政収支を町村から見ると、改革前には町村税40%前後、義務教育費国庫下渡金12~3%だった構成が、務教育費国庫下渡金はなくなり、町村税30%台、地方分与税15~6%と変化しました。新設された町村民税は戸数割と仕組みはほとんど変わりませんが、その規模は1/4程度に圧縮されました。
 一方、支出は義務教育教員俸給負担から解放されたため、教育費が大きく減少し、総支出規模も41年時点までは抑制されていますが、戦時期後半になると膨張します。
 市財政の収入は、町村と比べて独立税の比率が市民税の規模に規定されて小さく、地方分与税は1%前後でその恩恵に浴しておらず、市債収入の水準が依然として高いという特徴があります。支出は、40年を境に教育費が減少、電気事業費の消滅にもかかわらず、都市計画事業費の増大などにより増大しています。ただ、この増大要因は、37年の熱海市、41年の三島市、42年の富士宮市の市制施行にあります。
 なお、電気事業費の消滅、使用料および手数料の激減は、静岡市の電気事業が市財政から離脱したためです。41年4月、逓信省は電力国策大綱を発表し、電力の国家管理の実現に乗り出します。静岡市側は市会を中心とし、他の地方団体とも連携して延期や適用除外を目指して運動しましたが、41年8月「配電統制令」が公布され、翌年4月、静岡市営電気事業は中部配電会社に統合されることになったことで、電気事業が市財政から消滅することになりました。
 太平洋戦争勃発後、戦局悪化とともに県内の地方財政も困難の度を強めていきました。物資需給のひっ迫、空襲の激化、インフレの高進の中で、生産力拡充、銃後の生活安定という地方財政に負わされた機能は次第に麻痺し始めました。45年の当初予算支出額は、40年に対して県3.4倍、市1.6倍、町村2.2倍となっており、実質的な財政破綻状態で敗戦を迎えることになりました。
 次回は、「戦時における社会行政」というテーマでお話しようと思います。

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