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【都会のトム&ソーヤ⑬】「遊ぶ」ってなんだろな【読書感想】

ようやく都会のトム&ソーヤの続きを読みました~!
今巻も推しの神宮寺さんががかわ――、うおっほんっ、今巻もめっちゃドキドキハラハラわくわくの連続で面白かったので、思ったことを整理する為にnoteに記載していこうと思います!

微ネタバレありの感想なので、そこだけ注意です。

【あらすじ】
幻のゲームクリエーターと呼ばれた黒須幻充郎が、行方不明になる前に残した人工の島--黒須島、 内人・創也をはじめ、招待されたゲーム関係者。 そして始まる命がけのゲーム。 ゲームマスターは、浦沢ユラ。 閉ざされた島で、生き残るためにはゲームの謎を解くしかない。 すべての謎が解けたとき、「黒須の遺産」が現れる――。 累計130万部の超人気シリーズ最新作。
[引用元:BOOK☆WALKE]

【感想】

今巻のメインの謎といえば、やはり(あらすじからも察せますように)「黒須の遺産」

幻のゲームクリエーター・黒須幻充郎の「遺産」である事は、全て不明の遺産。唯一の手がかりは黒須が晩年に作り上げようとして失敗に終わったテーマパーク「クロスランド」とは真反対のものである、という黒須自身の言葉のみ。

どんな遺産であるかもわからなければ、どこにあるかもわからない遺産を「命がけ」で見つけなければいけなくなった内人と創也が繰り広げる、ハラハラどきどき展開には目が離せないものがあり、一度読んだら読み終わるまでは本から手を離したくなる気持ちに駆られ続けました。
本当、仕事とか何もなかったら、最初から最後までぶっ通しで読み進めていたことでしょう。
相変わらず、この2人が巻き起こす騒動は面白すぎるから困る。現実に帰って来れなくなったらどうしてくれるんだ!(満面の笑顔)

しかし今巻で1番私の印象に残ったのは、「黒須の遺産」の正体でした。
「黒須の遺産」の正体は、物語(親組が主役の付録の章は除く)の最後の最後に明かされる事となりますが、その予想外の正体に驚かされた事はもちろん、同時に「遊ぶ」とはなんなのか、と深く考えさせられる事となりました。

「黒須の遺産」は、たしかにクロスランドとは真反対の存在でした。
クロスランドが用意されたオモチャ(遊具)で遊ぶ場所なら、黒須が残した遺産は遊ぶ側の自由性を尊重したもので遊ぶ遊び。
自分の身近なもので例えるなら、前者がテレビやネットなどのゲームで、後者が学校の校庭かな。
ゲームはプログラムされた遊び方で遊ぶものですが、学校の校庭は生徒達が自分で遊び方を考えて使う場所の筈。
そういった意味で「遊ぶ」ことの真逆の位置にあったのが、クロスランドと「黒須の遺産」でした。

私自身の話ですけど、私は幼い頃から「ゲーム」が、すでに世の中にある環境の中で育ってきました。
色んなゲームソフトや、ゲーム機の開発が行われ、最新のゲーム機が出れば持っているのが当たり前、というような感じで。
それだからか、「最近の子は外で遊ばない」とか「ゲームばっかり」みたいな意見を時折聞く度に、ムッとするところがあるというか。
近年はそういう言葉も減ったような気はするけど、でもやっぱりどこかゲームばかりで遊ぶ子を非難的に見る意見も残っているようには感じます。

でも本作において、「黒須の遺産」を前にした創也が言った言葉のおかげで、とてもストンと来るものがありました。

「こことクロスランド、どちらがいいという話じゃない。どちらも重要だ」
[都会のトム&ソーヤ⑬ 黒須島クローズド 本文引用]

違う「遊び方」同士をどちらかが間違っていると非難するのではなく、どちらも重要だという創也。

確かに、と素直にそう思いました。

私自身、別に外で遊ぶのがダメとは思いません。
ただ「遊び方」を否定されるのが嫌なだけで、外で遊ぶ事もゲームで遊ぶ事も、どっちだっていい遊びじゃないかとは思っている。

私は今はもう内人や創也のような学生ではないので、彼らの思う「外で遊ぶ」はあまりできない人間です。
でも代わりにといいますか、音楽や刀が好きな流れからライブや博物館・神社仏閣巡りに行く事が多くなりました。
これも見ようによれば「外で遊んでる」んですよね。
「遊ぶ」の概念幅広くなっちゃうかもしれないけれど、これだって外へ遊びに行ってることの1つなんじゃないかなって思います。

ゲームもプログラムされているとはいえ、昨今は自由な操作性で遊べるものが増えていて、プレイヤー自身の遊び方次第では予想外の遊び方ができたりする場合もあります。
人によっては「縛りプレイ」なんかしたりして、わざとプレイしづらくした状態で遊ぶ人もいたりする筈。

こうやって見ると、決まった遊び方というか、正しい遊び方って存在しないのではないか、とそんな気持ちに駆られたり。

それこそ創也の言葉を借りるならば、いいか悪いかではなく、どちらも「重要」なこと。
「遊び方」に決まった形なんてなく、どの遊び方も皆、大事な「遊び方」なのでしょう。

いや、もしかしたら「遊び方」に決まった形、定義を当てはめようとする事こそ、おかしい話なのかもしれない。
鬼ごっこに無数の種類があるように。坊主めくりで地域毎の地元ルールがあるように。同じプログラムで作られている筈のゲームでいろいろな遊び方ができるように。きっと十人十色、人間の数と同じぐらいに「遊び方」には様々な形があるのかも。

とまぁ、難しい事を思わず考えてしまいましたが、でもこういうことを考えてる暇があるなら、それこそ全力で遊べって話なんでしょうね(笑)
物語の最後で内人くんもこんな事を言ってましたし。

体力を残すことなんか考えず、いまをいっしょうけんめい遊ぶ。それが、ぼくらにとって大事なんじゃないだろうか。
[都会のトム&ソーヤ⑬ 黒須島クローズド 本文引用]

流石に社会で働く社会人として、明日の体力を考えずに遊ぶってのは難しいところがありますが(白目)
でも何も考えずに遊ぶことだって、時には大切なことのはず!
体力の減りを怖がっていたらできないこともありますしね! ライブや神社仏閣巡り系は、体力減るもんだったりするしね! でもやめない、やめられない!

「遊ぶ」について、改めていろいろ考えられる1冊でした。
14巻は、ついに内人くんと創也くんの新しいゲームのお話になるようなので、今から続きを読むのが楽しみです!

でもその前に、他に借りてる小説を読んでるのと、友人からの薦めで見ているアニメがあるので、それらが終わってからかなぁ。
あ。ポケモンもそろそろ続きをやりたい。というか、大太刀が常設されている神社に行こうって友人と話してたやつも、いつ行けるようになってもいいように、ちゃんと計画たてておかないと。

う~ん、遊びたいこといっぱいだなぁ(笑)
なぁんて(笑)

以上!

【P.S】おまけの推し語り【読みたい方だけどうぞ】

本編とは全く異なりますが、今作、私にとって推し祭りの回でした。
伝説のゲームクリエーター「栗井栄太」の1人、神宮寺直人。彼がマチトムシリーズの中での私の推しなんですけど、今巻、めっちゃ本編に出てくるわ、めっちゃ挿絵にも出没するわで、登場率が非常に高い。
ゲームクリエーターとしてのかっこいいシーンから、カーレースで遊びまくるバカかわいい姿まで。色んな推しの姿盛りだくさんで、喜怒哀楽の「哀」以外全部見させて貰いましたって感じで、表情豊かな推しが見れてテンション爆あがりしました。
特に今作に出てくる黒須幻充郎は「ゲームは命をかけて遊ぶもの」が信念で、「ゲーム制作には命をかけても、ゲームで「遊ぶこと」に命をかけるべきではない」といった信念を持っている神宮寺さんとは真反対の思考の人物。その為、何度か黒須に対する神宮寺さんのぶち切れ・怒りを見る事になったんですけど、いやぁもう、それがすごいかっこいい。これこそがゲームだ、と命がけのゲームを主人公たちに仕掛けてくる黒須に対して、「おまえさんがやろうとしてるのは、ゲームとはいえねぇ」ときっぱりと言いきったところか、盛大な胸キュンポイントでした。
は~~~~~、普段はおちゃらけてふざけた雰囲気のある人間なのに、ゲームの事となるとしっかりした人間になるギャップくそ好きぃ~~~~~~~~~~~~~。普段は口調がどんだけ乱暴でも、どこか相手に対して好感的な感情のある雰囲気で喋る人が、ぶち切れて冷たい口調になる感じ、最高にしゅき~~~~~~~~~~~。ありがとうございます、ありがとうございます~~~~~~~~~~~~~~。

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