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進むも滝川、退くも滝川 (神流川の戦い)

(ん……?)

 滝川一益は、不意に寝床から飛び起きた。まだ早朝である。悪い夢を見ていたかのように、全身が寝汗で湿っていた。

(何か、変事があったのか……?)

 古くから織田家に仕えている一益である。第六感というべきか、何やらただならぬ予感を感じた。しかし何かがあったことはわかっても、何があったかまでは知りようもない。一益は、胸の中にモヤっとしたものを抱えながらも、再び寝床で横になった。どうにも寝付くことができぬ夜だった。

 数日が経った。が、あれから何か異変があった訳ではない。一益は雑務に追われている。あの夜のことも忙しさの中で自然に忘れてしまっていた。

 この年、滝川一益は武田攻めの恩賞により上野国を信長から拝領。さらに関東管領と東国の調整を任されていた。しかも上野には武田の旧臣が多く、これらの統制もしなければならない。あの有名な真田昌幸も、この時滝川の傘下に入っている。だが、彼らは新征服者の織田家を快く思っていない。

 そして関東には大大名の北条氏も割拠していた。北条は、後年最後まで豊臣秀吉に抵抗したが、この時の織田家には臣従していた。しかし油断はできない。

 さらにさらに、一益の管轄は東北方面にまで及んだ。流石に信長も仕事を押し付けすぎたと思ったのか、一益に労りと励ましの文を送っている。

「国を貰うより茶器を貰った方がよかった」

 と、一益は冗談を言ったことがある。さすがに本心ではないが、近頃は少しだけそう思うこともある。茶器と共に過ごすのんびりとした隠居生活も楽しそうだ。

 が、彼がそんな感慨を抱いている頃、織田家をめぐる運命は大きく変転しようとしていた。

 本能寺の変である。

 ちょうど一益が布団から飛び起きた時限であった。その報が一益に届いたのは5日後のことだ。

「な、なっ……」

 報を知った時、彼は衝撃のあまり声を出すことができなかった。一瞬のうちに様々な思考が頭をよぎり、それを処理することができない。織田信長・信忠父子は明智に討たれたというのだ。

 やがて一益の目から涙が滴り落ちた。が、そこは武人である。声を上げず静かに泣いた。織田家に仕官してからの思い出が頭の中を駆け抜けていく。世間は信長のことを魔王の如く言うものも多いが、あれだけ人間味のある魔王がどこにいるかと思う。滝川一益にとっては、大切な主君だった。

 信長・信忠父子を失った悲しみ、そして明智への怒り。それらが怒涛の感情になって一益を襲う。しばらく彼は顔を上げることすらできなかった。

 が、やがて違う感情が湧き上がってきた。不安、である。織田家の部将としての自己の存在が根底から崩れ去っていくような感覚が身を包んだ。

(ワシは、これからどうすればいいのか?)

 もし討たれたのが信長だけならば、多少の混乱はあれど嫡男信忠がいる。彼が明智を粉砕して、織田政権を継承するだろう。しかしその信忠も討たれた。まだ信雄、信孝など後継者候補はいるが、現段階では織田権力が宙ぶらりんの状況だ。

(もしや天下は明智が取っているのではあるまいな)

 一刻も早く敵討ちをすべきであろう。しかし状況がわからない。もし明智が織田権力を奪い取ってしまえば、一益は関東で孤立する。当時の関東はあまりにも上方(京)から遠すぎた。信長父子が討たれた事しか情報が入ってこないのである。もはや何が正しく何が間違っているのか判然としない。が、何の決断もしなければ、時勢に飲み込まれてしまう。

「よし決めた!」

 と、一益は言った。とはいえ、周りには自身の身内数人しかいない。座の一堂に向かって発した言葉ではなく、自らを励ますような気分だった。

(明智を討つ)

 そう決めた。主君織田信長を討ち取った明智を撃滅しなければならない。それが織田家への忠誠というものだ。しかしそれだけではない。やはり彼も戦国武将だ。人並み以上に野心もある。主君の仇を討てば、その第一勲功者として一益は織田政権下の重鎮となれるであろう。

 早速、一益は重臣たちを集めた。事情を説明して、明智討滅の軍を挙げるためである。この時、新たに自分の傘下に入った上野の武将たちも同席している。しかし不安もあった。彼らに本能寺のことを話してしまえば、たちまち動揺が広がり統制が取れなくなる。彼らは織田家の強力な軍事力によって服従しているが、その織田家の権力が消滅したと知れば、たちまち反旗を翻すかもしれない。本当のことを話すのは、勇気が要る。しかし彼らの協力が必要なことも確かだった。

 一益が本能寺のことを知らせた時、場は微妙な反応を返した。彼らは彼らで独自の情報網をもち、既に本能寺の変のことを知っていたからである。

「しかし北条の動きが気になりますな」

 と言った者がいた。周りの諸将には頷いているものもいる。北条は、織田家に臣従していた。しかし信長がいなくなれば話は別である。関八州の覇者となるべく動き出すかもしれない。

「北条からは文が届いておる」

 と、一益は言い、文を一堂に見せた。意訳すれば、「本能寺の変のことについて北条は把握しているが、織田との協調姿勢は変わらず維持したい」という内容である。

「これをそのまま、お信じなさいますか」

 側近達は訝しむような顔をした。一益は首を横に振った。(信じることはできない)という意思表示である。

「いざという場合は、明智を討つ前に北条と一戦交えねばならぬやもしれん」

 と、言いつつも一益は内心、北条が臣従し続けることを期待した。さすがに戦上手の彼でも、北条、明智との連戦は難しい。まして現在の北条の動員兵力は一益の3倍、いやもっとあるだろう。今敵対すべき相手ではない。

 が、その北条はすでに一益のいる上野へ兵を進める準備に入っていた。北条としては当然であったかもしれない。織田信長の強大な兵力を前に屈したが、別に信長に何の恩義があるわけでもない。土地も民も、全て北条が実力で手に入れたものだ。織田家の混乱に乗じて、一気に勢力を拡大してしまいたい。

 北条氏によって、明智軍は粉砕された。主君の仇を素早く討った秀吉は、今後ますますの栄達を手にすることだろう。しかし、一益はどうか。上野国に攻め込んでくる北条と関東で戰をしなければならない。これで勝ちを得たところで、中央の情勢に影響は与えられない。不意に虚しさすら覚えた。

 北条軍5万。

 対する滝川軍1万8千。

 北条軍の兵力は多少誇張が入っているかもしれない。しかし一益の軍勢よりも遥かに巨大な軍であることは確実である。だが、一益は果敢に出撃した。その辺り、やはり武人であった。勇敢としか言いようがない。

 6月18日、滝川勢と北条勢は激突。滝川は、まだ上野国に赴任して3ヶ月。領内に不穏な空気を抱えたままである。が、彼はこの日、北条に勝った。さすがは歴戦の強者というべきか。

 翌19日。北条氏直の隊が進撃してきた。その数2万。これに対する滝川軍は3千。ここでも一益の兵は敵を圧倒した。将兵ことごとく戦意に溢れ、数で劣っていることなど忘れてしまうほどの勇戦ぶりである。

 だが、北条もやられっぱなしではない。氏直が押されているのを見た北条氏政は、弟の北条氏規に1万の兵を与えて投入してきた。さすがに滝川軍は、劣勢になった。しかし一益の戦意は未だに衰えない。ならばとばかりに上野国の兵を出撃させようとした。

「上州の衆はいかがした?」

「それが動きが鈍く、まだ到着しておりませぬ」

 一益は歯噛みした。やはり時間がなさすぎた。上野国の兵たちはまだ滝川一益を信頼していないのだ。3ヶ月という期間では、そうなるのも仕方ない。彼らとしては、わざわざ滝川軍に味方して北条と戦う理由がない。理由がなければ人は動かないし、動けないのだ。

(こうなれば仕方ない) 

 と、一益は勝利を諦めた。死力を尽くして北条に突進し、滝川の武勇を見せつけてやるしかない。ことここに至った以上、戦略も戦術も無意味である。必要なのは、敵に対する旺盛な戦意だけだ。

「突っ込めぇええ!!!」

 滝川軍は、戦場を駆け抜ける一つの嵐となって敵に殺到した。北条軍は、そのあまりの勢いに浮き足立つ。敵の北条氏邦自ら戦いに参加するほどの激戦になった。

 が、いくら奮戦しようとも兵が足りないものはどうしようも無い。

 一益は、負けた。

 彼は落ち延び、信濃から織田領の美濃へ。新たなる織田家の当主、三法師に拝礼した後、本領の伊勢長島へと戻った。

 道中、涙があふれて仕方がなかった。

(なぜ、このようなことに……)

 すでに織田体制は変わろうとしている。何もかもが数ヶ月前と違う。信長・信忠は明智に討たれ、その光秀は羽柴に討たれた。しかもその後、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興、柴田勝家によって清須会議が行われた。関東にいた滝川一益は、全て蚊帳の外である。織田家の宿老にまで登りつめたというのに……。

 やがて一益は、長島へ到着。彼はこの後、賤ヶ岳の戦いでは柴田勝家につき、奮戦するも柴田方は敗北。孤軍で抵抗を続けるも、降伏。その後、小牧長久手の戦いでは秀吉につくも、家康、信雄の主力に攻められ、籠城して迎え撃つが、ここでも降伏。

 その後の彼は秀吉から3千石を与えられ、晩年を過ごした。戦国の世は、一益の存在を忘れて、過ぎ去ろうとしている。

 


 

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